<独自>日雇い労働者の街の象徴・あいりん総合センター、強制退去も建て替えは4年遅れ
センターは大阪万博が開催された昭和45年に国と府市が共同で建設。仕事を求める日雇い労働者とあっせん業者が集まる「寄せ場」や病院、市営住宅などが入り、あいりん地区の中心的な施設となっていた。
建て替え後のセンターは行政や住民、労働者団体などの約30団体で構成される「あいりん地域まちづくり会議」で活用方法を検討。施設北側に子育ての相談窓口などの住民向け施設が、南側には新たな労働施設が入り、その間に旅行者らも含めた交流の場を設ける構想が進められている。
あいりん地区では平成25年に始まった西成特区構想の一環で、薬物密売や不法投棄の取り締まりが強化され、治安や環境は改善。交通の利便性もよく近年は訪日客が訪れ、ホテルなどが進出した。一方で住民の高齢化は進み、平成2年に約3万人だった人口は令和2年に約2万人まで減少。教育や子育ての支援拡充は待ったなしだ。
「あいりん地区はいろんな問題を抱える人たちを受け止めてきた」と話すのは、まちづくりへの助言を続ける近畿大の寺川政司准教授(都市・地域計画)。近年は日雇い労働者や野宿者のほか、貧困に直面する若者や外国人労働者らの支援も対応しつつあるという。
寺川氏はセンター建て替えに向けたまちづくりについて「行政や住民、民間団体が連携し、ここに来れば何とかなる、再チャレンジができるという、社会的包容力のある街になってほしい」としている。