未成熟な社会への警笛-藤井浩人美濃加茂市長×中谷一馬衆院議員
社会的制裁と苦悩
【中谷】 間違った情報の拡散によって社会的に負の烙印を押されると、本人だけでなく家族や仲間など周囲にも影響が及びます。たとえば、うちの地元事務所には「お前らはハラスメントをしたんだろう」という人たちがドドっと来て、スタッフがさんざん恫喝されたことがありました。「いじめをしたら謝れ」「側から見たら肌感覚でわかる」「中谷はもう終わり」「落選運動するよ」「あなただって失職するんだよ」と怒鳴り散らし、スタッフに謝罪を迫ってきた。もはや私刑で処罰するみたいな方向になっていて、自分たちの方がひどいハラスメントをしているのに、本人たちは気づいていない。 【藤井】 私も刑罰より社会的制裁による痛手の方が大きかったですね。一審で無罪判決が出るまでは世間では「いずれ有罪が確定して市長をやめるんだろう」と見られていて、市長としての仕事にもかなり支障が出ました。幸い、市の職員たちは一生懸命に私を守ってくれて、行政としてやるべきことをしっかりやってくれましたが、民間との連携業務などについては、保釈されてからもかなり制約がありました。推定無罪なんてまったく通用しません。 【中谷】 家族について言えば、当時、うちの娘が幼稚園に入る時期だったので、自分の報道のせいで幼稚園に入れてもらえなかったら申し訳ないなとか、通っている保育園でいじめられたりしないか、など親としてとても心配になりました。本当に家族にも申し訳なく苦しかったですねぇ。 【藤井】 父は、すでに警察官を引退していましたので、まだ良かったですが、中傷ビラや誹謗中傷などに家族は悩まされ、その精神的苦痛はいまも尾を引いています。 【中谷】 ただ、そんな苦境の中にあっても、藤井さんと弁護団の人たちは、一つ一つの情報をすべてオープンにして、誤解が蔓延した空気と闘った。それで状況がかなり好転したのではないでしょうか。 【藤井】 私の弁護団は、拘束されているときは私不在でも記者会見を開き、保釈後の裁判のたびに私自身も出席をして会見をやりました。そこでは毎回、記者の質問がなくなるまで質問を受け付けました。合計30回か40回はやったと思います。最初は激しい口調で噛みついていた記者もいましたが、そのうち、「隠しごとはないようだから、市長を疑うべきではないかもしれない」と話してくれる記者もいました。弁護士の郷原信郎さんが会見でマスコミに対し、警察・検察の捜査ミスや主張の間違い、ミスリードを的確に指摘し、それをネットなどに逐一公開したことも大きな力になりました。それを見て、とくに美濃加茂市には「新聞だけ見ていちゃダメだね」と報道に疑問を持つ人が急速に増えましたからね。 【中谷】 「早期釈放を求める」署名はかなりの数が集まったと聞いています。 【藤井】 美濃加茂市の有権者に限定したもので2万1154筆。これは当時の市の有権者の約半数に当たります。 【中谷】 それはすごいですね。私の場合、先方の一方的な情報発信によって報道がヒートアップする形になりました。そのいざこざが注目され、統一地方選挙を控えた仲間たちには迷惑をかけてしまったところがあります。党内の議員同士の話だったので、私自身は先方を仲間だと思っていましたからできる限り包容したいと思う気持ちもありましたし、守秘義務を守らなければならない情報もありましたので、どこまで社会的に晒すべきなのかという難しさもありました。また自分が全然やっていないことでどこまで相手の土俵に乗るべきであるのかという点でもかなり対応に苦慮しました。いまでもあのときに、どこまでどういった情報発信の仕方をすべきだったのかと反省して考えることがあります。