進撃の「ガチ中華」#2…東京在住の四川人が教えてくれた“成都より旨い麻婆豆腐”の店「逸品火鍋」は池袋にあった
---------- 現代ビジネス「北京のランダムウォーカー」でお馴染みの中国ウォッチャー・近藤大介が、このたび新著『進撃の「ガチ中華」』を上梓しました。その発売を記念して、2022年10月からマネー現代で連載され、本書に収録された「快食エッセイ」の数々を、再掲載してご紹介します。食文化から民族的考察まで書き連ねた、近藤的激ウマ中華料理店探訪記をお楽しみください。 第2回は、やはり東京ガチ中華の総本山・池袋で出会った“本場を超える麻婆豆腐”の店「逸品火鍋」ーー。 ---------- 【写真】進撃の「ガチ中華」#1…池袋西口に広がる青の世界「阿麗女亞(アリヤ)」
麻婆豆腐の本家を訪ねる
今晩は、麻婆豆腐を巡る旅である。 東京・池袋駅西口。ここには東京最大の売り場面積を誇る東武百貨店が鎮座していて、12階には著名な陳建一シェフの四川飯店が入っている。ランチやディナー時はいつも満席で、老若男女の客たちが、名物の麻婆豆腐に舌鼓を打っている。確かに「和風中華」の名店ではある。 思えば、陳建一氏の父親で、「日本の四川料理の父」と仰がれた陳建民シェフが日本中に広めたのが、麻婆豆腐である。東京・赤坂に四川飯店を出し、NHKの『きょうの料理』でそのレシピを開陳した。番組を見て私の母も、必死にトライしていたものだ。 だが、麻婆豆腐は陳建民氏の発明品ではない。彼もまた、「本家」をまねたのだ。 では、本家はどこにあるのか? それは、中国四川省の省都・成都にある。いや、「あった」と言うべきか。 いまから30年以上前、成都の「陳麻婆豆腐」を訪れた。地元出身の新華社通信の知人が案内してくれたのだ。当時はまだ成都人しか行かない店で、日本から客が来たというので、厨房にある「自慢の甕(かめ)」を見せてくれた。 それは人の背丈より大きな甕で、古参のコック曰く、「陳老婆が実際に調理に使っていたもので、いままで一度も洗ったことがない。本物はこの甕からしか作れない」。
麻婆豆腐誕生の秘話
清朝末期の同治元年、西暦に直すと1862年、成都の北郊・万福橋のたもとに「陳興盛飯舗」という安食堂があり、田舎から家出同然で出てきた若い陳夫婦が切り盛りしていた。 ある日、夫の陳春富が、眼前の川の向こう岸まで行く渡り舟に乗っていたところ、舟が転覆し、溺死してしまった。悲しみに暮れた陳夫人は、細腕一つで店を続けることにした。彼女は頬に「麻」(あばた)があったので、「陳麻婆」(あばたの陳おばさん)と、舟乗りの常連客たちから言われていた。 ある晩、店を閉めようとした時、若い舟乗りが飛び込んできた。もうロクな食材が残っていなかったので、豆腐や挽肉などの具材を調理し、「賄(まかな)い飯」を出してやった。 すると、舟乗りはその味に感動し、仲間たちに触れて回った。他の舟乗りたちも、「同じ料理を出してくれ」とやって来た。そして皆、感動。いつしか成都の富裕層まで食べに来るようになり、「陳麻婆豆腐」と呼ばれた。 陳麻婆は1934年に他界したが、麻婆豆腐は四川料理を代表する料理となって、日本や世界に広まっていった――。