『光る君へ』紫式部どころか<摂関家の姫君>ですら働きに…トップ級の貴族の娘も<地位>で安定した生活が約束されなかった「平安時代の現実」
◆トップ級の貴族の娘や孫でも安定した生活が約束されなかった 大納言の君は「道長の妾」だったという記述もあり、左大臣の孫なのに…と、よりシビアに自分の立場をとらえていたのでしょう。 なお、このあとの彰子サロンには、ドラマで三浦翔平さん演じる藤原伊周の娘(つまり関白道隆の孫)が。 彰子の妹で、後一条天皇の中宮になった威子のサロンには、関白藤原道兼の娘が上臈として入ってきます。 つまり、トップ級の貴族の娘や孫でも、決してその地位で安定した生活が約束されたわけではなかったのが、平安時代中頃の社会なのです。
◆摂関家の姫君ですら そして摂関家ですら、働きに出る姫君がいました。 藤原頼通の孫、師通は寛治八年(1094)に33歳で関白になり、時の権力を白河上皇と争ったという、摂関家には珍しい剛直な政治家でしたが、その五年後に急死します。 関白を継いだのは、嫡男の忠実ですが、その妹は斎院女別当、つまり賀茂神社に仕えた斎院、鳥羽天皇の皇女禧子内親王に仕えた女官長になったのです。 また、その姉妹には白河上皇の娘で、やはり斎院だった令子内親王の宣旨(口頭で命令を伝える女房)もいました。 たとえ関白家であろうとも、早くに父を失い、兄弟が当主になることで、その姉妹は、お姫様としての悠々とした立場を失い、それぞれに働き口を見つけて生きていかなければならないーー。 平安時代の女性たちと聞くと、優雅で華やかなイメージがつきものですが、現実にはそういった側面だけではなく、生き抜くために、多くの努力や苦労が要された時代でもあったのです。
榎村寛之
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