伊那谷楽園紀行(8)嫌々参加していた町の祭りが変わった理由
山の様に積み上げられた資料を前に、誰もが黙った。こうして1997年の「伊那まつり」からは、宇崎竜童の『ダンシング・オン・ザ・ロード』に振りをつけた『ドラゴン踊り』など、新たな踊りが導入された。この踊りを導入した時の市役所の担当部署は冴えていた。振り付けは、極めて難しい。だから、それを踊ることができるだけでステータスになるように仕向けたのだ。 「まあ、いい祭りになったんじゃないかな」 そう話す牧田に、私は率直な感想を述べた。 「今、賑わっているのは、既に失敗から立ち直ったから?」 少し考えて、牧田はいった。 「いずれまた失敗すると思いますよ」 かつての動員による踊り手は減った。代わって増えたのは、友人同士の小さなグループ。一見、祭りは賑わっているように見える。でも「祭り」と呼べる催しにはなりえていない。あくまで市役所が提供する夏の催しの色彩が強い。すべての人が参加者として楽しむのではなく、楽しむ側と楽しませる側が分断されているものは「イベント」ではあっても「祭り」ではない。 「今は、まだ本気で変えようとする人もいないから」 もう、部署も変わった今、牧田は一参加者として得意の笛を吹いている。でも、それは諦めではなくて余裕。都会に比べると人口が少なかろうと、いざ問題があれば解決する才覚を持った人材が、この谷にはいくらでもいる。そんな土台の安心感を肌で知っているのだなと、思った。そんな谷に流れる新しもの好きで、好奇心に満ちた心根の風が、田舎に憧れる<だけ>の都市生活者を引き寄せるのだと。