【古代史の真実】「ヤマト王権の“本当”の発祥地」は、定説とちがう!? 地元住民が「証拠隠滅」していた!? 「柏原説」を振り返る
■神武天皇の宮殿は、橿原ではなく柏原だった?! 本居宣長が著した『菅笠日記』によれば、「畝傍山(うねびやま)の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いた」という。それが、御所市柏原に祀られた神武天皇社の地である。 これには少々複雑な経緯があった。自らの居住地が宮跡だったということが表沙汰になれば、立ち退きを迫られるようになるのが必然。これを危惧した住民たちが、証拠となる資料をことごとく燃やしてしまったことで、立ち退きを求められることもなかったのだとか。 証拠も失われてしまった今となっては、その真偽のほどは確かめようもない。しかし、神社の北西にそびえる本馬山(標高143m)が、神武天皇が登って国見をした「掖上(わきがみ)の嗛間(ほほま)」だったとの伝承も伝えられているところから鑑みれば、この地が真の橿原宮だったと見なすこともできそうだ。これが本当だとすれば、この地こそが、「ヤマト王権発祥の地」だと言えそうである。
藤井勝彦