山崎豊子生誕100年:壮大重厚な作品世界への誘い
「作品を通して人間の真実が見えてくる」
山崎作品の魅力は、綿密な取材に裏付けられた、細部に至るまでの圧倒的なリアリティである。取材は長期にわたる。小説にはそれぞれ原型となるモデルが存在する。それ故、発表後に様々な臆測を呼ぶことになるが、彼女は「実在する一人の人物が、そのまま小説の主人公になり得るのなら、作家の創作の作業は要らない」と断じている。 そして、この作家のすごみは独自の視点でさらに読者を引きつける個性的な人物造形を仕立てていることだ。「取材で得た事実を羅列しただけでは、小説にはなりません。事実を掘り下げて、作家としての構成力、想像力で人間ドラマを形作る。作品を通して人間の真実が見えてくる」と語るのである。 山崎は、納得するまでとことん取材対象に肉薄していく。主要な登場人物にあわせ、物語の進行をラストまで時系列で大きな紙に書きこんでいく。その年表が完成し、全体を俯瞰(ふかん)、構想がまとまって初めて執筆に取り掛かる。 しかも腹にストンと落ちる題名が決まらなければ、容易に書き出せない。彼女は「タイトルはその作品のテーマそのものです」と語る。『二つの祖国』と『沈まぬ太陽』について、「祖国は本来ひとつだし、太陽は必ず沈みます。相反する言葉をふたつ並べたところがいいんです」と言っていたのが印象的だった。
作家の原点となった戦争体験
ご本人によれば、作家としての原点は戦争体験だった。戦中、彼女は軍需工場で弾を磨く作業に従事する。体調が悪く、休んでいる時に海外の小説を読んでいて、監督する軍人に殴られたこともあった。「私には青春がなかった」とも言う。彼女はこう書いている。 「男子は特攻機に乗って雲の向こうに死んでいき、私たち女子学生は全員、大学二年で動員された。そして飛行機工場に動員された友達はB29に爆撃されて死んでいった。私には、常に生き残った者として、何をなすべきかという思いがある」 そこで編まれたのが以下の戦争3部作である。 『不毛地帯』(73年週刊誌連載開始)は、第2次大戦中、大本営の作戦参謀だった主人公の壹岐正が苛烈なシベリア抑留を経て、戦後は商社に身を転じ、ライバル社との激しい商戦に巻き込まれていく物語だ。 山崎は、高度経済成長で豊かになったものの「日本全体が精神の不毛地帯になっている」との危惧から、「かつて大本営作戦参謀として戦争に携わった主人公が、その不毛の中でいかに生きるか、その生き方を通して、戦後、三十年の日本の歩みを描いた」と書いている。 『二つの祖国』(80年週刊誌連載開始)は、太平洋戦争から東京裁判を通じ、ロサンゼルスに住む日系2世の主人公・天羽賢治が、日米二つの祖国に引き裂かれる悲劇を描いたもの。日系人強制収容所、フィリピンの戦場、広島の原爆、東京裁判の4つのテーマを盛り込んだ意欲作だ。山崎には「日本人の心が荒廃し、自分の生れた国、祖国を愛するというごく自然の心すら失われつつある」という思いがあったという。 『大地の子』(87年月刊誌連載開始)は、中国に残された「戦争孤児」の悲劇が題材だ。そこに現実の日中共同の製鉄所建設プロジェクトを絡めている。主人公の陸一心(ルー・イーシン)は、篤志家の中国人に育てられ、優秀な技術者となるが、文化大革命で辛酸をなめ、名誉回復後に同プロジェクトに関わるものの、日中対立のはざまで翻弄(ほんろう)される。 本作の読みどころは、中国の人々の暮らしや中国共産党の実情を克明に描き切ったところにもある。それは当時の胡耀邦総書記との出会いがあったから可能になった。本来なら外国人が立ち入ることのできない未開地の貧しい農村や製鉄所などの取材が許された。開放政策が進んだ「つかの間の春」だったからこそ、作品が生まれたのである。実の父親との再会後が本作の肝だ。