「絶対に本番には出さない」と言われた「ウイッキーさん」の「ズームイン!!朝!」英会話コーナーが14年続く名物となったワケ
最後のチャンス
コーナー打ち切りが通告された翌週、月~金の5日間だけという条件付きで、私の「ワンポイント英会話」の放送が続行されることになりました。日本テレビの仁科俊介プロデューサーに頼み込んで勝ち取った最後のチャンスでした。 開き直ったせいでしょうか。その日初めて、耳に付けたモニターからコーナーの始まりを告げる音楽が聞こえたのです。それまで極度に緊張していたのか、そんなものを聞く余裕もなかったのでしょう。 思わず私は、その音楽にあわせて、手を動かしてリズムを取りました。すると、コーナーを終えて20分くらい後にスタジオから中継車に電話がありました。 スタッフが私に言います。 「仁科さんからあなたに電話だよ。また『やめる』って言うんじゃないの」 みんなおびえています。私は本当に震えながら電話に出ました。 「もしもし」 「それだよ。工夫だよ。今日の動きはよかった。冒頭のああいうのをやればいいんだよ」 仁科さんには、前週の会議で動きが「変だ」と指摘されていました。リズムを取るのが自然な動きに見えたようです。仁科さんはそれからもコーナー終了時に電話をくれて良かったところは褒めてくれました。結局、5日間のスタッフともどもの奮闘で、1クール(3か月)の継続が決まりました。 〈わずか2分余りの短いコーナーにもかかわらず、1クールもたたずにウイッキーさんは全国区の人気を獲得する。「ズームイン!! 朝!」開始の2か月後、1979年5月8日の読売新聞夕刊は「優しさあふれる人柄が感じられる」「ぜひ私たちの町に来て」などのファンレターが殺到していると伝えている〉 *** 番組の名物コーナーとなったウイッキーさんのワンポイント英会話は1993年4月9日まで14年も続く。番組終了後もウイッキーさんはライフワークとして日本人に英語を教え続けた。墓も埼玉県に買い、日本に骨を埋めるつもりなのだという。 アントン・ウイッキー 1936年9月26日英領セイロン(現スリランカ)生まれ。セイロン大卒。61年5月、国費留学生として東京大学へ。79~93年に日本テレビ系「ズームイン!! 朝!」に出演。その後、奥羽大教授などを務め、政府や都の英語教育懇談会に参加した。 協力:新潮社 Book Bang編集部 Book Bang編集部 新潮社
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