「苦しみは比べられない」シリアから逃れてきた若者に日本の同世代はどう見えているのか?
<世界の難民、紛争影響地域の若者、日本の孤立した若者の「直面するリスク」は共通している? 社会不安に向き合う「平和構築」の取り組みとは──>
※当記事は「JICAトピックス」からの転載記事です。 世界が直面しているさまざまな社会問題について、タレント・大学生の世良マリカさんと一緒に考える「世界をもっとよく知りたい!」。第5回のテーマは「平和構築」。シリアから避難して来日したアナス・ヒジャゼィさん、日本国内で若者を支援するNPO法人サンカクシャの早川智大さん、そしてJICA平和構築室の大井綾子室長にお話を聞きました。 ●平和な世界のつくり方とは? トークの様子を動画で見る
<「今すぐ逃げろ!」あなたは何を持って逃げる?>
JICA広報部 伊藤綱貴さん(以下、伊藤) 世良さん、突然ですが、想像してください。今あなたは自宅にいます。そこに誰かが突然攻めてきて、逃げなくてはいけない。今から20秒で、荷造りをしてください。 世良マリカさん(以下、世良) 20秒!? (荷造りをする) JICA平和構築室 大井綾子室長(以下、大井) これは実際に難民の人が体験していることなんです。世界各地で、紛争が起きて「今すぐに逃げなくてはいけない」ということが起きています。
アナス・ヒジャゼィさん(以下、アナス) 実際には20秒もない、5秒で手に取れるものを持って逃げる。お金とパソコンは一番大事です。もちろんパスポートもです。 世良 実際にシリアから退避されたときの状況を教えていただけますか。 アナス 2011年から紛争が始まり、ほとんどの町で建物が破壊されました。電気が使えるのは1日1時間ぐらいで、携帯電話の電波も届かない。シリア・ポンドの貨幣価値が下がり、何も買えない状況になりました。私は大学を卒業したら、すぐに逃げようと思っていました。政府軍が若者を恣意的に逮捕しており、毎日危険な状況だったんです。 実際に逃げた日は、朝5時に私の父が呼んだタクシーが来ました。父は「危険だから、すぐにタクシーに乗って!」と私に200ドルを渡し、私は家族に別れの言葉も言えないまま、レバノンまでずっと泣きながら5時間ぐらいタクシーに乗っていました。
世良 そうだったんですね......。 アナス 私はラッキーなことにレバノンですぐに仕事が見つかり、自立できるようになりました。でも、レバノンでの生活はものすごく大変でした。差別があり、私の給料はレバノン人の半分でした。不満を言うと、上司からは「この仕事が好きではないなら、出て行け。難民キャンプには何百万人と代わりがいる」と言われました。