【箱根駅伝】創価大・吉田響、私利捨て「花の2区」で日本人歴代最速 大学を変え、人生変えた
<第101回箱根駅伝>◇2日◇往路◇東京-箱根(5区間107・5キロ) 創価大の吉田響(4年)が「花の2区」を、日本人歴代最速の1時間5分43秒で走破した。東京国際大リチャード・エティーリ(2年)の区間新記録にこそ12秒及ばなかったものの、たすきを17位で受けて一気の13人抜き。東海大から3年時の23年4月に編入し、最終学年で恩を返した。青学大の黒田朝日(3年)も続き、現行2区では史上初となる区間新3人。1時間6分台も昨年の6人からほぼ倍増の最多11人と、歴代最速のエース区間となった。 【写真】東海大時代の吉田響 ◇ ◇ ◇ 選択は正しかった。ラストイヤーで、吉田響が正解を導き出した。過去2度は5区。最後は2区を選び、箱根史に名を刻んだ。首と両腕を乱舞させる独特の走法でピッチを上げ、駒大の篠原や国学院大の平林らトップ勢を置き去りに。17位で受け、驚異の13人抜きで4位に押し上げた。「苦しくて、きつくて、いろいろあった4年間…全てを出し切れた」。完全燃焼した。 大学を変えて、人生を変えた。東海1年時に5区で2位の鮮烈デビューも、精神の不調や方向性の違いで退学。3年春に編入した23年度の創価では、ひと夏で1000キロも走り込みながら5区9位に沈んだ。「山の神になる」夢のラストチャンス。5区のリベンジを描いてきたが、決断した。 「チームのために2区を走らせてください」。2カ月前、全日本大学駅伝を終えて榎木監督に直訴。5区の区間新という「永年の目標」を封印し、各校エースとの対決を選んだ。覚悟の後は、日本人最速だった東洋大・相沢晃のラップを参考に、理想を描き直した。 クロスカントリーでの15キロ走、胸郭を広げて心拍を強くする肉体改造など、山登り用の執念を平地で生かし、相沢の1時間5分57秒を14秒も更新。5区ではなく2区へ投入されたサプライズを上回る、驚きの記録を出し「このチームだから選択に踏み切れた。悔いはない」。笑顔で終われた。 人生をやり直す賭けに勝った。「物おじも気負いもなく最後まで笑顔で走れたのは初めて」。花の2区で最も速い日本人になった。「次は28年ロサンゼルス五輪のマラソンで入賞したい」。大学を変えた時、陸上からも離れようとしていた姿はない。夢をしぼませたのも、また膨らませたのも箱根路だった。【木下淳】 ○…創価大の榎木監督が「100点をあげたい」と吉田響を称賛した。23年4月に受け入れて「来てくれてありがとう。うちになかった気持ちの走り、駅伝の魂を表現してくれた」。5区で「山の神」になる夢を1年7カ月、ともに追ってきたが、ラスト2カ月で2区へ。「個人的な思いを断ち切り、チームが往路優勝する確率を最も高める決断をしてくれた」と感謝した。