《今も生き続けるメッセージ》稲盛和夫さんが65歳で出家して学んだ、「人生が必ずうまくいく」 “6つの修行”
「今からの人生をすばらしく生きなさい」
先日、私の小学校の同窓会がありました。 私は終戦の前年、1944年に小学校を卒業しているのですが、そのときの同級生から、「稲盛君、ぜひ出席してくれ。おまえが出ると我々も誇らしいし、話がはずんで楽しくなる」と言われて、何とか都合をつけて出席しました。 同級生には、小さな商店を経営している人もあれば、サラリーマンを定年退職した悠々自適の人まで、いろんな人がおられます。みんな68歳のおじいさん、おばあさんばかりの楽しい集まりでした。子どもの頃を思い出しながら、みんなとワイワイしゃべり、翌日にはそのような思い出話を本にするというので、文章をまとめていたときに、当時級長だった人が、私にこんな話をしてくれました。 彼は、私が受験に失敗した名門鹿児島一中に入学した秀才なのですが、彼が鹿児島一中の制服を着て学校に行くときに、私とすれ違ったことがあるそうです。そのとき、私が彼をにらみつけたというのです。「稲盛君がさも恨めしそうににらみつけたことを、私は今でも忘れない」と言っていました。 けれども、私はそんなことはまったく覚えていません。しかし、「そんなことがあったかもしれないな」と思いました。 当時の私は、「なんで私だけがこんなに運が悪いのだろう、なんでこんな目に遭わなければならないのだろう」とばかり思っていました。抽選でさえ私には当たらない、自分は本当に運が悪いと思い込んでいた、そんな自分に比べて彼は頭もいいし、いい学校にも行った、そのことを「うらやましい」と思っていたに違いありません。 ところが、彼の話をよく聞いてみますと、彼は鹿児島一中に行ったあと、家が空襲で焼けてしまい、それ以降は戦災孤児などが集まった悪い連中の仲間に入り、相当悪いことをやり、その後の人生はうまくいかなかったというのです。 途中で、さすがに「これではいかん」ということに気がついて、また勉強を始め、遅ればせながらも大学を出て、今日まできたと言っていました。 私が言いたいのは、みなさんのように若いときに苦難に出遭っても、挫折を経験しても、絶対にへこたれてはならないということです。 それは、神さまが与えてくれた「成長の糧」だと考えることです。神さまはそういう苦難をみなさんに与え、それを糧にして、「今からの人生をすばらしく生きなさい」と励ましておられるのです。そんなすばらしい経験をさせてもらえる人はそう多くはいないのです。 今日、私の話を聞かれてから20年くらい経って、みなさんが40歳ぐらいになられたそのときに、この中からすばらしい経営者や、すばらしい学者が出ても、私は決して不思議ではないと思うのです。 こんな苦難を経験したからこそ、今からの20年間をみなさんが必死にがんばれば、そのような苦難を経験せず、さして努力もしなかった人とは、人生という長丁場ではすさまじい差がつくはずです。それくらいすばらしい経験を、今みなさんは積まれているのです。 だから、現在の自分の境遇を恨んだり、将来を悲観する必要は毛頭ありません。 しかし、自分が今まで犯したことは、十分に反省しなければいけません。過ちは二度と繰り返さないという反省を糧に努力さえすれば、一般の人が漫然と過ごす人生より、結果としてはるかにすばらしい人生を送れる資格がみなさんにはあるのです。 神さまはみなさんの未来に、すばらしい幸運を授けようとしておられるのです。 みなさんがそれを受け取られるのか、受け取られないのか、それはみなさんの今日からの心構え、みなさんの心の状態次第なのです。 今日生きていることに感謝し、先生方に教えていただいたことに感謝し、そして一刻も早くここを出してもらったなら、ぜひ社会で誰にも負けない努力を重ねてください。そうすれば、みなさんが想像もしないほどのすばらしい人生がひらけてくるはずです。 これで、私の話を終わります。 まだまだ寒い日が続きますので、どうぞ風邪をひかれないよう注意していただき、がんばってくださいますようお願いいたします。