伊那谷楽園紀行(14)どこにでも面白い人はいると信じて
まだ、伊那に来て何日も経っていない頃。 伊那の勘太郎どころか、高遠まんじゅうも知らなかった捧は、駅前にあるローメンが美味いことで有名な「うしお」に案内された。 案内してくれた人は、メニューを見ることもなく「ローメンの超」を注文した。しばらくすると、キャベツや肉が混じった茶色い麺料理が運ばれてきた。 「なんだ、このギトギトとした焼きそばは……」 浅く大きな器には、いったい何玉の麺が盛られているのか。おそるおそる一口啜ろうとして、止められた。 「ローメンというのは、ほら、こう自分で味を調節して食べるものなんだ」 あたりを見回すと、ローメンを注文した人は、それぞれにテーブルの上に置かれたいくつかの調味料を振りかけていた。七味をバサバサとかける人。酢やラー油をかける人。少しずつ、それらの調味料をかけて食べてみた。隣の人が「からしマヨネーズを下さい」というのを聞いて、自分も頼んでみた。3分の2ぐらい食べたところで「ここのは、カレー粉が美味い」といわれ、それもかけた。なんだか不思議な味。けっして一口目から美味いというわけではないけれど、なにか泥臭い懐かしさのある味だった。 翌日になると、ふっとした瞬間にその味を思い出すようになった。その日のうちに、再びのれんをくぐった。伊那には、何店ものローメンを出す店があると聞いて、食べあるいた。それぞれに味は違った。最初に食べた「うしお」のローメンは焼きそばのようだった。 でも、最初にローメンを開発した「萬里」にいくと、ラーメン鉢にスープに浸かった麺が出てきた。その不定形の魅力を知った時、捧は伊那に来ることができてよかったと幸せを感じた。 それから、瞬く間に時間は過ぎた。毎日、伊那市創造館の事務室で、企画展の準備をしたり、市民が利用できる学習室に集まって勉強する中高生の様子をみたり。小さな修繕をしているだけではすまなくなってきた。伊那市は、一年契約の館長から、文化振興課の課長というポストを捧のために準備してくれた。それは、捧の功績のために用意されたせめてもの栄職の椅子だった。 でも、伊那市創造館だけを守っているわけにはいかず、仕事は忙しくなった。いくつかの文化施設の責任も背負わなくてはならないから、時にはクレーム対応に追われることもある。「でも、現場でやくざものと渡り合ったことを考えれば、どうということはない……」