「ウマ科学会」で功労賞の小桧山悟元調教師が講演「馬に出会ったことで…」松田直樹記者が取材
元気な姿が見られて、ホッとしました。26日、東京都内で「日本ウマ科学会」の第37回学術集会が行われ、功労賞に選ばれた小桧山悟元調教師(70)が壇上で講演をしました。調教師時代からの馬の写真家、作家活動が、馬事文化の継承と普及に貢献したとして評価されたのです。 小桧山元師は14年にNARグランプリで特別表彰(地方交流競走1000回出走)、23年にはJRAで馬事文化普及、後進育成が評価された理事長特別表彰を受けています。今回、また大きな勲章を手にしました。「3冠、とったぞ。こんなに変わってる人間いないよなあ」。先日の電話口では言葉とはまるで違う、うれしそうなトーンでした。 せっかくの晴れ舞台。講演を見に行ってきました。学会では前日25日から2日間に渡って、ウマの症例報告や研究結果の発表、馬事文化普及への取り組みなど、50以上ものテーマで講演がされていました。小桧山元師の持ち時間は1時間。「みんなの顔を見て、何を話すか決めるよ」と、カンペもなにも用意せず穏やかな口調で語り始めました。 小桧山元師は「馬に取りつかれて、今日に至っています」と切り出しました。阪神競馬場近くの仁川で中学生までを過ごし、高校2年までのナイジェリア留学時代に友人宅で初めて馬にまたがりました。馬術と出合った農工大入学後は、カメラを手にしては北海道と東京を行ったり来たり。助手としてトレセン入りして、厩舎を開業したのが96年。08年ダービー2着馬スマイルジャック、そして多くの弟子たちを育てました。厩舎の定年解散を数日後に控えた今年3月3日の中山で、関係者たち100人近くが特製ジャージーを着て即席引退式を開いたことは語り草です。 今はエスティファーム小見川(冠名トーセンで知られる島川隆哉オーナーの牧場)で顧問を務めつつ、執筆に限らず馬事文化を伝えることにも力を注ぎます。岩手県の「チャグチャグ馬コ」など、馬の祭りにも顧問として携わっているそうです。主な役割は馬装の点検、事故の未然防止。「日本のお祭りは、ひとつ事故が起きるとすぐ打ち切りになってしまいます。とにかく事故を起こさない。事故になる要素を全て排除する形で関わらせてもらっています」。 馬事文化は伝えることと同じくらい、守ることも大事。祭事や大学の馬術部への引退競走馬の無償提供、リトレーニングなど、調教師時代に築いた人脈などを駆使して、活動を続けています。 「個人レベルですが、日本の馬の幸せを感じられるボランティア活動をしています。文化として支えるにはお金もいるけど、まず馬がいないと。どこでも後継者がいなくて大変ですが、何らかの形で協力できないかと模索しています。啓蒙活動や、お祭りを紹介することが自分に与えられた使命かなと思っています」 超高齢化社会なんて言われますが、ここまで活動的な70歳は多くないのでは。今でも毎日2時に起き、牧場で在籍馬の朝の調教をチェックしてから、別の仕事に取りかかります。歩く歩数は1日平均でおよそ1万5000歩。小桧山元師は「馬の仕事だけは続けた者にしかわからない喜びが絶対あるんですよね。たまたまいろんな本を残すこともできましたが、没後30年で評価される人間になりたいと思って生きています。死んでから30年ですが、まだ生きないといけなません」と充実した毎日を送ります。 かなえたい夢もあります。ダービー100年史を作る-。ダノンデサイルが勝った24年が第91回。第100回は33年に行われます。「あと9年生きていたら(第100回ダービーを)見られるんですよね」。競馬評論家の有吉正徳氏らと取材、編集をして人生最後の本をつくるのだそうです。「馬に出会ったことで毎日、何の後悔もない日々を過ごさせてもらいました。本が出たら、買ってください」。会場をしっかりと笑わせて、講演を締めました。いつまでも元気でいてもらいたい。心の底からそう思いました。【松田直樹】 ◆小桧山悟(こびやま・さとる)1954年(昭29)1月20日、兵庫県生まれ。95年に調教師免許を取得、翌96年開業。著書「馬を巡る旅」シリーズなどの他、ゴリラに関する写真集も出版。かつての厩舎在籍者からは青木、小手川、堀内の3人が調教師に転身。騎手は高野、山田(引退)、原、佐藤が門下生。JRA通算7330戦218勝。 ◆日本ウマ科学会 90年3月に発足。獣医学や畜産学に限らず、ウマに関わる人文科学や芸術なども取り込んで、幅広い分野の会員を募って、相互に情報を発信。研究者と実務者が一堂に会して意見交換を行い、現場のニーズに対応した学術や技術の向上と普及、促進を行う。英文学術誌「Journal of Equine Science(JES)」、和文情報誌「Hippophile」を年4回ずつ刊行。