「たかが選手が」発言、じつは続きが…渡辺恒雄がファンに嫌われた“ナベツネなりの巨人・野球愛”「打者は三塁へ走ってはいかんのかね」
「たかが選手」以外にも世間の神経を逆なでした
筆者が感心するのは――「たかが選手が」発言で、満天下を敵に回したようになったにもかかわらず、渡辺氏は毫もひるんだ様子はなく、発言前後にも世間の神経を逆なでするような言葉を連発していた点である。 たとえば2003年には、巨人軍・原監督の退団に際して、こう発言する。 「原は監督を辞めても巨人の社員だよ。オレから見れば人事異動だ」 プロ野球人のステイタスを何と心得る! と批判を浴びた。 さらに、2011年11月には「清武の乱」が起こり、渡辺氏に反旗を翻した株式会社読売巨人軍の清武英利球団代表の解任を巡って、すさまじい争いを繰り広げるのだ。 読売系とそれ以外のメディアが正反対の報道をした。まさに「劇場空間」で繰り広げられた対立劇だった。筆者はこのとき清武氏の手記が載った『文藝春秋』を買いに書店に走ったのを覚えている。 しみじみ思うのは、渡辺氏の見事な「敵役」ぶりである。非難を浴びまくっても、傲然と世間を睥睨(へいげい)する。良くも悪くも、これはただの人ではない、としみじみ思う。そんな渡辺氏は「野球は好きでもないし、そもそも知らなかった」のだという。 「君、バッターは三塁へ走ってはいかんのかね」 東京ドームで野球を観戦していた時に、隣で解説をした社員に向かって発した質問とされる。
野球協約を誰より読み込み、野球愛がなかったからこそ
1926年生まれの渡辺恒雄氏は、戦前の中等学校野球、大学野球で大いに盛り上がった東京で少年時代を過ごしたはずだが、多くの同世代とは異なり、野球には全く関心がなかった。 野球協約を誰よりも読み込み、チームの勝利にこだわった、と巨人・山室寛之元球団代表や東京大学名誉教授の御厨貴氏らがテレビ朝日の『報道ステーション』で語る一方で――競技としての「野球愛」は持ち合わせていなかったのだろう。だから、巨人のオーナーになって野球ファンの非難を浴びてもなんとも思わなかったのではないか。 穿った見方をすればファン的な「野球愛」がなかったからこそ――政治記者として培った手腕で、ドラスティックな「球界再編構想」を思いつくに至ったとも考えられる。 日本のプロ野球は、読売新聞中興の祖と言われた正力松太郎によって創設された。2リーグ構想を推進したのも正力。巨人戦のナイター中継を空前の人気コンテンツにしたのも正力。渡辺恒雄氏は正力松太郎に豪腕を認められて出世した。しかし今から20年前の「たかが選手が」発言が契機となり、「球界の盟主」読売ジャイアンツを中心とするビジネスモデルに終焉をもたらした。 そう考えると、渡辺氏の死は「一つの時代が完全に終わった」ことを意味しているとしみじみ思う。
(「酒の肴に野球の記録」広尾晃 = 文)
【関連記事】
- 【こちらも→】巨人25失点大敗でナベツネ激怒「ファンへの冒とくだ!」落合博満が“最悪の空気”を一振りで変えた夜
- 「失礼な話だよ」キレた落合博満にナベツネ猛反撃「落合はおしゃべりが過ぎた」…落合42歳が拒否した巨人“残留オファー案”
- 【レア写真】「な、ナベツネがラミレスと…」HRポーズしあって超オチャメ。長嶋さんと野球観戦して大ハシャギや「ロン毛の坂本21歳、ナゾのカツラをかぶる松井」など巨人レア写真を全部見る
- 渡邉恒雄「たかが選手」発言にライブドア堀江貴文参入、ハンバーグ食べながら楽天・三木谷浩史「よし、やろう」…いま明かされる球界再編の舞台裏
- 41年前のナベツネ「モスクワ五輪は中止すべきだ」 20億円を投資したテレ朝責任者の“恨み節”「俺は失脚した」