【エッセイ】息子は12歳で死んだけれど、私は彼との会話をこうして続けている
偶然とは思えない言葉を残して、息子は死んでしまった。筆者の耐えがたい苦しみを和らげたものとは。
死んだあとの合図を決めよう
毎晩眠りに就く前、私は日記を書く。12歳の息子であるトミーと、彼が予期せずこの世を去る3日前、2018年4月13日から始まった会話を続けるのだ。 あの金曜日の午後、彼が出るサッカーの試合へ送るためにロサンゼルスからサンディエゴへ運転していたときのトミーは、特別よく喋った。 「僕のブランを覚えておいて、お母さん」とあの子は言った。「まず僕は、ヨーロッパでプロのサッカー選手になるんだ。引退したら中堅のプロチームでコーチをする。そのあとはテレビでサッカーのコメンテーターをするよ」 最高のプランだねと私は答えた。それから、彼は12歳にして48歳の私よりも自分のことをわかっているのだろうかと思った。トミーはまた「どこかのタイミングで子供を二人もって、ファッションブランドを立ち上げるんだ」とも言った。彼の好きなプロサッカー選手がそうだったように。 「不可能なことなんてないよ」と答えた。起業家たちが夢を叶えるのを手助けするなかで、繰り返し共有してきた信念を思い返しながら。 だけどトミーは、不意に聞いてきた。私が二度と忘れられなくなることを。 「ねえお母さん。眠って、二度と目を覚まさないことってできる?」 私の返事は素早く、軽やかだった。 「ものすごーく歳をとっていたらね。あとそれは、最高の去り方だよ。痛みもなし、ドラマもなし」 そのあと彼は、さらに驚くようなことを言った。 「子供を亡くすのって、親からしたら苦しいだろうね」 助手席に座るあの子のことを見た。 「そんなことは起きないよ。私が先に行く。トミーはそのあと。そういうものなの」 私が90代でこの世を去ったら、いつもそばにいるってわかるようにサインを送るからね、と私は言った。私は鳥になるかもしれないし、音を奏でるかもしれないことを話すと、彼は笑った。その時はグレイトフル・デッドを鳴らすといいかも。トミーは冗談っぽくそう提案してきた。私もあの子もファンじゃなかったけど、夫がいつも爆音で流しては私たちをうんざりさせたから。 私たちは宗教やスピリチュアルを信じる家族ではなかったから、トミーはただ好奇心を持っているのだと思ったし、二人で楽しく話していた。そうしてサンディエゴにつく頃には、彼のそれまでの人生を丸ごと振り返っていた。 子供の頃にそんなことをしていなかった私から見て、夢を追いかけるトミーを、どれだけ誇らしく思っているかを語り聞かせた。 どれだけ愛しているか、どれだけ信じているか、そして彼の母親になれたことが、どれほどの光栄か。