【エッセイ】息子は12歳で死んだけれど、私は彼との会話をこうして続けている
鳥や音楽が私に語る
3日後の2018年4月16日、いつも通り月曜夜のサッカーの練習をしてから眠りに就いたトミーは、二度と目を覚まさなかった。 あの子を救うチャンスはなかった。救急医療隊員によれば、彼は眠ってすぐに亡くなったのだという。医者たちにもその理由はいまでもわからない。心臓に何か原因があったのだろうと彼らは考えている。トミーには心筋架橋があった。たいていは無害なものだけど、まれに心停止を引き起こす先天異常だ。けれど、医者にもそれが原因だったのかはわからなかった。永遠にわからないままかもしれない。 私が私だと自認していた人間、私が歩んでいると思っていた人生は、一瞬にして消えた。痛みは言葉を凌駕した──生き抜くすべが見当たらない。死にたいと思うことはどういうものかを、生まれて初めて知った。 あの朝のことはぼんやりしている。トミーは助からないと認識した途端、身体中の回線がすべて一斉に抜けたかのようだった。心臓が激しく脈打ち、耳鳴りがする。声は出なくて、耳は聞こえない。 ボロボロになりながらも、サンディエゴへ向かうときにトミーと交わしたあの会話が再生された。そうして自分に訊ねた。「あの子と仮説的な会話をしていた一方で、私たちの魂は何か別の触れ合いをしていたってことは、あり得る?」。自分の魂のことなんて、それまでは考えたこともなかった。 「これは何かしらのプランの一部なんだよ」と夫に言った。トミーが亡くなる前の自分なら、今の私に呆れた目を向けていただろう。偶然の一致に夫も衝撃を受けていたけど、私が経験したほどではなかった。 のちに、自分でも気づいていなかった「繋がり」でいっぱいになっている家の中、夫は私の手を掴み目を見て、こう言った。「俺たちは悲劇の家族にならない。言っていること、わかるな?」 自分が感じているのと同じくらい虚ろに見える彼の目のなかを見つめて、同意した。次男には両親が必要で、素晴らしい人生に恵まれるべきだ。一緒に乗り切らなきゃならない。 あの日から私を導きはじめた内なる声は、トークセラピーも処方薬も、充分に速く深く効きはしないと言っていた。もっと違う何かが必要だった。次男のために生き抜くためにも、一刻も早く。 経営学修士のために学んだ脳と起業家精神を持つ魂の両方を満足させるため、私は生と死に関する信念体系を探しはじめた。見つけたあらゆる代替的なヒーリングメソッドを、リサーチしては試した。瞑想や呼吸法、霊媒にマッシュルーム。 そうして新たな選択肢を試して論理の声を無視するほど、それまで聞いたことも見たことも感じたこともないものを、感じるようになっていた。
Nikki Mark