「ジャニーズと間違えてんのちゃうか」営業で子どもが3万人集まった…?「吉本新喜劇」を飛躍させた間寛平と木村進の「伝説」
木村進の芝居と、間寛平のギャグ
65周年を迎え、7月からは全国ツアーも開催される吉本新喜劇の歩みを振り返る連載。花紀京と岡八朗の時代から、間寛平と木村進へと時代は移り変わる。二人は同時に座長となり、吉本新喜劇初のダブル座長となる。名コンビとなり、新喜劇の一時代を担った。当時のことを、間寛平GMとベテラン座員・やなぎ浩二が語る。 【写真】懐かしすぎる!岡八朗、花紀京、間寛平、木村進… 『「人気すぎて舞台袖にも客が溢れていた…」吉本新喜劇「黄金時代」を築いた“岡八朗”と“花紀京”は何がスゴかったのか』より続く… ー岡八朗、花紀京の時代の後、間寛平さんの世代が活躍するようになりました。 寛平:はじめのころは、幕が開いて「おっちゃん、きつねうどんなんぼ」「800万円」、どてっとコケて「そんなアホなー」、出番はそれしかなかった。出られるのはポケットミュージカルス(新喜劇の前に行われる、歌手や若手芸人主体のコント)くらい。だから、そこでむちゃくちゃやった。 やなぎ:ポケットミュージカルスはバカにされてるじゃないけども、軽く見られてたね。 寛平:ポケットミュージカルスの後に新喜劇に出るけど、新喜劇はセリフないやん。でも出て行ったら、例えば犯人が入ってきて、一緒にバーッと警察も出てきて、「間君、ちょっと本社に連絡しなさい」「はい、わかりました」って言うだけで、客がドカーンとウケるわけや。なんでといったら、ポケットミュージカルスでむちゃくちゃやってるから。 やなぎ:お客さんはね、「こいつなんぞするやろ」と思ってね。 寛平:社長も見に来るわけですよ。舞台袖におって、ニコニコと嬉しそうに。そっからやね。 ー寛平さんと同じ頃、木村進さんも人気を集めるようになりましたね。 寛平:進ちゃんは芝居もできるし踊りもできる。僕はもうむちゃくちゃ暴れるだけで、素人みたいなもん。進ちゃんは僕より半年後に入ったのに、役をもろとった。僕の台詞は、「そんなアホな」って帰るだけやのに。ちょっとライバルみたいになった。 やなぎ:良きライバルでね。その頃は、ポケットミュージカルスだけ見に来る客もおったんですよ。噂が噂を呼びました。それでドンドン時間が延びてね。花紀さんが「あのな、おもろいのは聞いてんねんけど、時間まけ」ってよく言ってました(笑)。 ー座長になった経緯を教えてください。 寛平:木村進と二人でポケットミュージカルスに出て、お客さんがドンドン増えて。進ちゃんは男前やから高校生や大学生の女の子ばっかり。僕はギャグばっかりやってたから子供から人気で、それにお母さんがついてくる。それで23歳で、二人で座長になったんですよ。 やなぎ:カウス・ボタンも漫才で高校生から人気だったんですよ。だから花月は満員で、ひょっとしたら何か、ジャニーズと間違えてんのちゃうかと思いました。 寛平:ある営業に行ったときに、子供が3万人ほど集まってね。電車が止まって中止になった。まあほんまは1万人ぐらいかもわからんけど(笑)、とにかくすごかった。