「GAFAMだから何でも売れる」は大間違い…この20年に生み出してきた「記憶から消したい失敗作」の数々
■iPod誕生前のアップルは悲惨だった 一方でアップルは、パーソナルコンピュータ時代の古参だが、その後はずっと危機ばかりだったので、初期に支配的な地位を得ても、急変する市場では大した意味を持たないという事実を象徴する存在だと思われてきた。だがスティーブ・ジョブズが会社に復帰し、2001年末にiPodを発表してアップルにも新たな希望が生まれた。 2003年にアップルはやっと、わずかばかりの年次利益を計上できた。インフレ調整されたその年次利益は、現在のアップルなら14時間で稼ぐ金額だ。だがそれは、同社が携帯電話に革命を起こしたことで初めて可能になったものだ。 当時の携帯電話市場はノキアに支配されていた。「顧客10億人。携帯電話の王者にだれが追いつけるだろうか?」と『フォーブス』誌は2007年10月に問うている。「そんな携帯電話会社も、ノキア以上に人々の電話利用法について知ることはできない」から「ノキアはウェブと同義語になる歴史的な機会を持っている」。 もちろんマイクロソフトもずいぶん昔からいたが、もたついてモバイルインターネットへの移行に乗り遅れてしまった。そして、パーソナルコンピュータのオペレーティングシステム(OS)から、アップルやアンドロイド製品でも動くクラウドベースのサービスにビジネスモデルを完全に切り替えて、やっとカムバックを果たした。 著書『ハイテクパニック』(未邦訳)でアメリカのジャーナリストのロビー・ソアヴェはこう書く。「未来からの訪問者が2006年の私――高校を卒業したばかりの年だ――に、もう数年もすればマイスペース、AOLインスタントメッセンジャー、MSN ホットメールのアドレスもいらなくなるよと言ったら、ああオレは突発事故で死ぬのか、と思っただろう」
■GAFAMが忘れたい「黒歴史プロダクト」 新しい巨人たちが、先人たちよりもその地位に安住できると信じるべき理由もない。代替物よりも優れた、安くておもしろい製品やサービスを提供し続ける限り、利用者は獲得できる――だが利用者は無料の新サービスを得られるが、それを提供する企業のほうは、そのための費用を全額自分で負担するしかないのだ。 ときには、彼らが何をやっても成功する、お金を刷るに等しい会社だと思ってしまうが、それは今日の彼らのトップセラーしか見ていないからだ。 だがみなさんはアマゾンのファイアフォンやグーグルグラスやマイクロソフトのZuneミュージックプレーヤーをご記憶だろうか? GAFAMの発表する製品の多くは鳴かず飛ばずだった。というのも、それが提供したものはつまらないか、すでにあるか、ややこしすぎるか、醜すぎるか、高価すぎるか、ひたすらお寒い代物だったりしたからだ。 マイクロソフトは、音楽サービスのグルーヴミュージック、スピーカーのインヴォーク、フィットネスブレスレットのマイクロソフトバンドやiPadクローンのサーフェスRTでまったく成功しなかった。「ビングる」は「ググる」ほどは一般化していない。 マイクロソフトの携帯電話キンは大失敗で、代わりに出てきたウィンドウズフォンもダメだった。失地回復のため、マイクロソフトはノキアの携帯電話部門を2013年に買収した。だがマイクロソフトの携帯電話は復活しなかった。ノキアの携帯電話が潰れただけだった。 ■1カ月で99セントに値下げした携帯電話アプリ フェイスブックはおそらく、2013年にフェイスブック・ホームという独自アプリでモバイル市場に参入しようとしたのを忘れたいと思っているはずだ。これは特別な携帯電話アプリだったのだが、1カ月で値段を99ドルから99セントに引き下げねばならなかった。 おそらく同社は、検索エンジンのグラフサーチ、写真共有アプリのフェイスブックポークやその後継スリングショットもなかったことにしたいだろうし、さらにフェイスブッククレジット、フェイスブックディール、フェイスブックオファーも忘れたいだろうし、フェイスブック通貨のリブラについても同様だ。 アマゾンもまた、市場に受け入れられずに投げ捨てるしかなかったプロジェクトを大量に擁している。たとえば独自のファイアフォン、写真サービスのスパーク、ゲームのクルーシブル、アマゾンウォレット、ファッションや赤ん坊製品を販売していた子会社、さらにオークションサイト、食品配達、チケット販売、旅行代理店、ポップアップ店舗などがあった。