オタクアナウンサー吉田尚記と振り返るアニメミュージック隆盛の15年 人気の根底にある魅力とLIVEイベントの醍醐味とは
J-POP史から考える現代のアニメミュージック人気の源流
――純粋なお客さんとしてだけでなく、司会としてイベントに関わり始めたのはいつ頃ですか。 アニメイベントですとニッポン放送が主催していた「東京キャラクターショー」(~2005年まで)の頃からステージの司会は数多く任せていただいてはいましたが、アニメミュージック特化のイベントとなると「リスアニ!LIVE」が一番初めだったと思います。 ――イベントとしては2000年代から関わっていたとのことですが、当時”非タイアップ系*に類されていた楽曲のなかで、聴いて印象に残ったナンバーはありますか。 ※アニメ主題歌などにおいて、一般アーティストではなく、アニソン歌手や声優が担当した楽曲を「非タイアップ」としています この頃、見聞きして印象に残ったのは「ハッピー☆マテリアル」(TVアニメ『魔法先生ネギま!』キャラクターソング,2005年)ですね。麻帆良学園中等部2-Aのメンバー1、2、3…と続き、どれだけバージョンが多いんだ…!と思いつつも、アニソン文化を知っている身からすると「こういうもんだよねって」って思いながら楽しんでいたものが、だんだん世の中が戸惑いながら受け入れている様子が痛快でした。 音楽の歴史全体を振り返ってみると、実は日本のチャートって“意味わからない曲”が大好きだったと思うんですよ。 ――なるほど。 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年)、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」(1981年〉とか初めて聞いたときは皆さん「え?」って思っただろうし、その意外性が売れた理由だったと思うんです。 その後、マーケティングのノウハウが業界の間で当たり前になると一般アーティストが「インパクトよりも売れそうなものを作る」時代になっていった一方で、アニメミュージックではCD売上をさほど考慮されなかった点や、トレンドの反動もあり「インパクトを重要視しましょう」という共通認識が生まれていた。このことから面白さの軍配は当時よりアニメミュージックのほうにあったと感じていて、以降20年にわたってもその流れが強くなっているのではないかと思います。 ――現代の浸透ぶりを見るとその潮流が表に現れているのが伺えますよね。