阪神74年ぶりのサヨナラ劇の裏に使命感
ジャンプしたエルナンデスのグラブが届かない。 延長10回二死二塁。一塁が空いていたが、田島と中日ベンチは昨季の首位打者マートンとの対決を選択した。そこまで4タコ。和田監督さえもが「4打席はタイミングがとれていなかった」と感じていた内容を見て、通算23度開幕スタメンの記録をあきらめてまで采配に徹した谷繁監督は、マートンとの勝負を決めたのだろう。だが、暴投で三塁へ走者が進むとマートンは逃げるスライダーに食らいついてショートの頭へサヨナラヒットを放った。 お立ち台で、マートンは「めっちゃ好きやねん」「いつもありがとう」「いつも信じるね」と日本語で感激の気持ちを伝えた。 「4打席結果が出ていなかったから自分を信じて打席に立った。野球はチームプレー。みんなが頑張っての勝利だ」」 阪神の開幕戦でのサヨナラ勝ちは1リーグ時代の1941年までさかのぼらねばならない。74年ぶりの珍事。創設80周年にふさわしい歴史的1ページを刻んだ。ちなみに、そのシーズンの優勝は「東京巨人」で、松木謙治郎監督に率いられた阪神は5位だった。 負けゲームだった。 開幕投手に選ばれたメッセンジャーは、ストライクとボールがハッキリしていて3失点。3番手の桑原も1点を失い、8回の時点で3点差をつけられ、中日は又吉ー福谷の新必勝パターンに入ろうとしていた。8回も二死。だが、そこから反撃が始まった。 鳥谷、上本の連打で、一、二塁となった場面で「3番・三塁」でスタメン起用されていた西岡が打席に立った。和田監督が、周囲の反対意見に耳を貸さずに貫いた新打線の核は1番・鳥谷であり3番・西岡だった。鳥谷の信頼できるバットと、出塁率、機動力、そして西岡の勝負強さを買い、昨季、固めたクリーンナップをあえて解体した。それはレギュラーシーズンの2位と1位の差を埋めるための指揮官の賭けでもあった。 西岡が三塁へ転向したのは今成が怪我をしたキャンプ終盤だったが、和田監督が直接、西岡へ「3番・三塁」の構想を伝えたとされている。だが、その期待感は、西岡のプレッシャーに変わる。 オープン戦で打率は、わずか.152。右肘の不調から三塁守備への心配もあって強気な西岡が珍しく周囲に3番に対する不安を口にしていたこともある。和田監督肝いりの新打線が開幕から機能しなければ、それは優勝候補であるはずのチームの浮沈にもかかわる。しかし、西岡は、その重圧を見事に使命感へかえた。 「オープン戦では、僕が、ことごとくストップをかけていた。この打順は、責任のある場所だと思う」 2球目のインサイドのストレートを打ちに出てファウルボールが足に当たった。痛い自打球にも西岡は弱音を吐かない。冷静に「又吉の決め球は外の真っすぐかスライダーのどっちか」と読んだ。ホームベースを内、外に2分して、外ならストレートであろうと変化球であろうと対応するという配球手法だ。 その読み通りのスライダーを西岡はうまくバットにのせた。打球はふらっとライト前へ。