「愛する男を寺で焼き殺し…」日本史上最凶のストーカー「清姫」伝説が禍々しすぎる
● 清姫の物語は “ゴシップ”として語り継がれてきた 和歌山県日高郡に「龍神」という地名があった。美肌の湯として知られる龍神温泉が現在ある場所だ。 龍神温泉を発見したのは、伝承では修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)であり、その後、弘法大師空海が龍のお告げによって開湯し、龍神温泉と名づけたという。 だが津名は、それより以前に、日高川周辺に蛇を神とした山の民=砂金の採掘民が居住しており、最初に温泉を発見したのも彼らで、そこから「蛇」が「龍」に変わり、龍神の地名が誕生した可能性を指摘している。 空海が温泉を開いたという話は全国至る場所にあるが、いずれも言い伝えの域を出ない。津名の仮説は新鮮で興味深い。 女性の怨みを蛇身に喩えた『古事記』の伝説が、蛇を神として祀る一族と重なり、そこから情念の塊(かたまり)となった悪女・清姫が生まれた――そして人々はそんな物語に畏怖を抱くと同時に、女性ストーカーを興味本位で面白がった。 この傾向を、日本の大衆はいつの時代も持っている。清姫の物語は日本人好みのある種の“ゴシップ”として、長く語り継がれてきたといって良い。
● 清姫が焼き払ったという鐘は 現在、京都の妙満寺にある なお、清姫が焼き払ったという鐘は14世紀に再興し、道成寺に寄進された。銘には「正平十四年」と刻まれており、1359年頃だったことがわかる。 ところが鐘は叩いても濁った音しか出さず、近隣に災厄も頻発した。人々は清姫の祟りと恐れ、鐘を廃棄したという。 1585(天正13)年、紀州を拠点としていた傭兵集団・雑賀衆が豊臣秀吉に敵対したことから攻撃を受けて壊滅した。その際、秀吉軍が廃棄されていた鐘を発見し、戦利品として京都洛北(現在の京都市左京区)の妙満寺に持ち帰った。 2004(平成16)年、熊野古道が世界遺産に登録されたのを記念して、一度だけ鐘が道成寺に“里帰り”した。420年ぶりの帰還だった。 同年11月、また妙満寺に戻り、今も同寺にある。 ●参考文献 『蛇神伝承論序説』阿部真司/新泉社 『清姫は語る』津名通代/文理閤 『神と仏 日本民俗文化体系4 民俗宗教の諸相』/小学館 『道成寺絵とき本』/道成寺護持会 『ストーカーの日本史』川口素生/KKベストセラーズ
小林 明