「愛する男を寺で焼き殺し…」日本史上最凶のストーカー「清姫」伝説が禍々しすぎる
● 未亡人や人妻から 未婚の娘へと姿を変えた 安珍と清姫の物語が完成するまでの経緯を追うと、初出は長久年間(1040~1044年)に成立した仏教説話集『大日本国法華験記』にある。 前述の通りこの時点ではまだ清姫の名はなく、夫に先立たれた無名の寡婦(未亡人)だった。 安珍にも名はなく、ただ若い僧侶とだけ記されている。 ただし、鐘に隠れた男を焼き殺すなどの大筋は前ページの物語と同じで、かつ仏教関連書だけあって男女が最終的に救済されて往生し、異性トラブルは控えよという主旨の説話であるのが特徴だ。 次いで12世紀前半、『今昔物語集』に似た話が所収されたのを経て、前述の『道成寺縁起』が完成するのだが、『道成寺縁起』でも女は役人の妻、または息子の嫁と解釈され、つまり人妻となっている。それがいつ、未婚の若い娘にすり替わったかは判然としない。 一方、和歌山に伝わる雨乞い踊り『日高踊』の歌には、道成寺縁起とほぼ同じ内容の歌詞があり、そこでは男は若い僧、女は未婚の娘で、二人は結婚の約束をしたが男が逃げたと歌われる。 『日高踊』の成立時期は不明だが、歌詞に「京山伏」「山の女茶屋」など中世的な言葉があることから15世紀末、つまり戦国時代の始め頃には若い娘に設定が変わっていたのではないかと考えられる。(※)。 ※『蛇神伝承論序説』阿部真司(新泉社)参照。
● 男に裏切られた 女の情念と怨みが物語の軸 安珍と清姫の「名前」は、安珍が1300年代前半の仏教史『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)に初めて登場した。清姫は18世紀の浄瑠璃で、父親の役人の名が清次だったことから「清」の字をとって清姫と名づけられたといわれている。 だが異説もあり、紀州にもともと砂鉄の採掘地を指す「洲処」(すか)という地があり、洲処がのちに「清」(すが)に転嫁し、「すが」を「きよ」と訓(よ)み清姫になったとも考えられるという(※)。 ※『清姫は語る』津名通代(文理閤)参照。 いずれにしても、初出の『大日本国法華験記』から18世紀まで約700年の年月を経て、物語は醸成された。その間、一貫して根底にあったのは、男に裏切られた女の情念と怨みだ。 民俗学者の小松和彦は「人間の内面の姿が外面に表れた」物語だという。(※)。 ※『神と仏 日本民俗文化体系4 民俗宗教の諸相』(小学館)参照。