ネットがなかった江戸時代、「かわら版」は庶民のニュースであり娯楽だった
インターネットがなかった江戸時代、江戸の庶民は「かわら版」を読んで世の中の動きをキャッチしていました。THE PAGEの連載「『かわら版』が伝える 江戸の大スクープ」(全20回)を執筆いただいた大阪学院大学経済学部准教授の森田健司さんは、かわら版を研究することで江戸の人々の息遣いはもちろん、インターネットとの共通点まで見えてくる部分も多いと指摘します。
── かわら版はいまの新聞の原点なのでしょうか? 森田:明治時代に入って、かわら版のかなりの部分は小新聞(こしんぶん)に吸収され、それが大新聞(おおしんぶん)に近づいていき、いまの新聞のようになっていきました。 大新聞は政治の話題が中心だったのですが、小新聞は、当時の風俗や身近な話が中心で、動物や歌舞伎俳優、いまのタブロイド紙が取り上げる面白おかしい話題のほか、警察の話題も多く取り上げていました。 小新聞にはすべてひらがながついていました。識字率が高かったのは確かですが、漢字が読めなかったのです。かわら版は、明治初期に出た小新聞(こしんぶん)と内容的にかぶっている部分が大きいです。吸収されなかった部分もあります。
── どういった部分が新聞に吸収されなかったのでしょうか? 森田:伝統芸能的な要素です。かわら版を売っていた読売(よみうり)は二人組で、編笠を被って顔を隠して、三味線を持った人が節を付けて売ることもありました。災害速報のような要素は新聞に吸収されていきましたが、それを悲しい声で語ったり、表情をつけて語ったりといった要素は吸収されなかったのです。 文字が読めなくても絵があるし、語ってもらったらだいたい内容が分かる。それを聞いた子どもやたまたま歩いていた人が、値段が安いので一部買っていくわけです。 近代に入って、テレビやラジオが登場しますが、目の前でニュースを読んでいるという切実さ、体温を感じながらニュースを買うというのは、むしろ、いまは忘れられているというか、消えてしまった要素です。新聞の祖であることは間違いありませんが、消えてしまった部分があるのも確かです。