河合優実が語る『あんのこと』。薬物依存や過酷な家庭環境……現実のなかに映画が見出した「救い」
飛ぶ鳥を落とす勢い、というお決まりのフレーズが、いまこれほどリアルにハマる新鋭俳優もほかにいない。そう、現在23歳の河合優実だ。2019年のデビュー以来、卓越した演技力や存在感で業界内外の注目をぐんぐん集め、2022年には『由宇子の天秤』(監督:春本雄二郎)や『サマーフィルムにのって』(監督:松本壮史)などの演技で『キネマ旬報ベスト・テン』新人女優賞、『ブルーリボン賞』新人賞、『ヨコハマ映画祭』最優秀新人賞を獲得。今年(2024年)は宮藤官九郎脚本のTBSドラマ『不適切にもほどがある!』の“昭和の高校生”純子役で大ブレイクを果たし、幅広い層におなじみの顔となった。 【画像】河合優実 さらに5月、『第77回カンヌ国際映画祭』監督週間に正式出品され、国際批評家連盟賞に輝いた主演作『ナミビアの砂漠』(監督:山中瑶子)も今年夏の公開が予定されている。本人の芝居もさることながら、出演作の質の高さに定評があり、最前線に立ち並ぶディレクターや作家たちがこぞって河合優実を指名する。こうなると映画、テレビドラマ、演劇など物語を紡ぎ出すクリエイションにおける、新しい時代のキーパーソンだと言わずにはいられない。 そして6月7日(金)に公開された『あんのこと』で、河合優実は苛酷な家庭環境で育ち、薬物依存に苦しむ主人公の香川杏を演じた。監督は『SR サイタマノラッパー』(2008年)をはじめ、『22年目の告白―私が殺人犯ですー』(2017年)や『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(2023年)など数々の話題作を手掛けてきた入江悠。これは2020年に自ら命を絶った実在の女性にまつわる記事から着想を得て生まれた物語だ。「彼女の人生を、自分が生き直す」と決意した河合優実は、自分と同世代の、しかしまったく異なる境遇を持つ存在となって社会のボトムを彷徨う。果たしてその壮絶な演技体験とは、また杏を通して見た世界とは――。
「彼女の人生を生き返す」。まったく新しい演技体験
―今回、実在の女性をモデルにした主人公・杏の人生を映画の中で河合さんはどう生きたのか、なぜこれほど強い表現として映画に刻むことができたのか、非常に興味があります。撮影は2022年の年末だったそうですが、まず入江悠監督からオファーが来たときのお気持ちを聞かせてください。 河合優実(以下、河合):デビューしたてのころ、入江悠監督のワークショップを受けたことがあったので、監督とは以前から面識はあったんです。『SR サイタマノラッパー』など入江監督の作品はいろいろ観ていましたし、コロナ禍以降に撮られた『シュシュシュの娘』(2021年)も大好きでした。 今回の企画が動き出してからは、まず台本の準備稿をもらったのかな。もちろん本当に難しい題材だと思いましたし、場合によっては尻込みしちゃったかもしれません。でも『あんのこと』に関しては台本の持つエネルギーがあって、杏の役を請け負うことに強い気持ちを持てる自分がいました。「怖い」「逃げたい」「やりたくない」ということよりも、「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分と杏に言い聞かせたい気持ちがすごく湧いてきて。 そのあと入江監督にお会いしたときに、「自分の考えを文章にしたので一度読んでください」とお手紙をもらったんです。そこには実在の人物や事件を映画として再構築する際のスタンスや、その責任を引き受ける覚悟のほどなどが、慎重に選んだことがわかる言葉で書かれていました。特に印象的で、今回の現場でもずっと私の心に刻まれていたのが「彼女の人生を生き返す」という一節でした。 ―主人公・杏のモデルになったのは2020年5月上旬、コロナ禍で支援活動が途絶え、更生への道を歩む途中でありながら当時25歳で自死を選んでしまったハナさん(仮名)。映画のなかでは稲垣吾郎さんが演じているジャーナリストの桐野のモデルとなった、生前のハナさんと交流されていた新聞記者さんにも直接取材されたそうですね。 河合:はい。その記者さんには入江監督が脚本をつくるうえでも全面的に協力いただいていたので、「私もちょっとお話を聞きたいです」って申し出てみました。そこから入江監督も交えて3人で1日、狭い部屋にこもって結構長い時間、お話させていただくことができました。 ―どういうお話をされたんですか? 河合:もう根掘り葉掘り、私が思いつくあらゆる質問をした感じです。その記者さんがハナさんと接していたときの印象とか、どこで会って何を食べてたとか。何を着ていたかとか。話した内容や、そのときの態度。記者の方には守秘義務があるので、私はハナさんの本名も、顔も知らないんですね。でもそのときのお話を通して、たしかにこの世に生きていた彼女の存在を実感させてもらえました。入江監督も、それまで自分が記者の方にしてきた取材とは別の視点があったとおっしゃってくれました。 ―なるほど、そうなると本当に現実に近い劇映画だという感じがしますね。 河合:ただ、ハナさんご本人を再現しようとすることは正しくないと思いましたし、そもそも無理なことなので。あくまで杏というフィクションの人物像を理解するに当たってのベースになった、という感じなんですが、う~ん……(しばし沈黙して)、ここは確かに難しいところでしたね。 ―これは作品の大きなポイントだと思います。ハナさんはハナさんであって、杏ではない。だがしかし、亡きハナさんの魂のバトンを受け継いで、もう一回映画のなかで新しい人生を生き直さなきゃいけないということが、河合さんや入江監督の動機になった。その距離感をどう捉えるか、というところ。 河合:はい。最初はハナさんへの思いが大きすぎて、いろいろなことを考えてたんですが、そういう状態で映画をつくるのは難しい。今回は薬物更生や介護の専門職の方にもお話を聞く機会をいただけて、いつもの作品に比べたら下準備に多く時間を取れたんです。それはとてもありがたかったんですが、たぶん、私がハナさんの実像に囚われ過ぎ始めたタイミングで、入江監督が「どこかでご本人とは離れなきゃいけないですよね」っておっしゃってくれたんですよね。あっ、たしかにそうだな、と思って。最初に監督からいただいたお手紙の文面にも「適切に距離を取る」といった一節がありましたし。 もちろん杏を演じるなかで、ハナさんの魂を手放すことは一瞬でもあってはならないと思っていましたけど、「私がハナさんになる」なんてことは傲慢だし、失礼だし……。あと、入江監督から、その「どこかでご本人とは離れなきゃいけないですよね」って聞いたときから、ようやく呼吸できるようになったというか、役との折り合いがついたというか。 でも難しいですね、距離の取り方。いまも答えは出ていないのが正直なところです。 ―そういう演技体験は初めてですか? 河合:初めてですね。まったく新しかったかもしれない。 例えば、母親からの強い抑圧を受けて育った主人公で、実在する方をモデルにした役を演じたことはあったんです(NHKスペシャル『“宗教2世”を生きる』ドラマ編『神の子はつぶやく』の主演・木下遥役/2023年11月3日放送)。ただ今回の『あんのこと』は、自分の役のモデルになった方が、すでに亡くなられているということ。自分がもう会うことのできない女性の人生に向き合うということ……その事実を相当重く捉えてしまって。設定として多少近い役は過去にもあったかもしれないけど、演じるうえでは全然、いままでの役とは違いましたね。