河合優実が語る『あんのこと』。薬物依存や過酷な家庭環境……現実のなかに映画が見出した「救い」
映画の可能性が、社会にとっての一抹の救いに
※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。 ―これはぜひお聞きしたかったことなのですが、杏を光の差すほうに導いてくれる恩人のような存在であった、佐藤二朗さん演じる多々羅刑事は、別の相談者の女性への性加害容疑で逮捕されます(これも実際のエピソードをもとにしており、実際にはハナさんの逝去後に起こった性加害容疑での逮捕事件を、生前に杏が知るエピソードとして組み込んでいる)。薬物中毒者を献身的に支援するという善性を持つ一方で、人を深く傷つける犯罪をおかしていた……人間は一元的な存在ではないという矛盾を生々しく突きつける一件ですが、杏は多々羅の逮捕を知ったとき、どう感じていたと思いますか。また、河合さん自身はどう感じましたか。 河合:そうですね……いつもは物語全体について整理した状態で、自分の役回りや視点からいろいろ考えるんですけど、今回はそれをやめて、杏の主体に徹しようとしたんですね。だから杏にとっては、多々羅とのつながりこそが大切な部分で。逮捕のエピソードに関しては、多々羅と一緒に過ごす段階の撮影ではそのことは考えないようにしていました。 というのも、もし映画全体を俯瞰的に把握するかたちで、多々羅の性加害容疑という情報を意識していたら、ちゃんと杏を演じることができなかったと思うから。多々羅の行為に関しては、私自身はどうしても許せないからです。 でも同時に思ったのは、もし多々羅が逮捕されてなかったら、杏は生きていたかもしれないってこと。 多々羅とのつながりが切れていなかったら、杏を支える人が居続けたかもしれない。それを思うと……もう頭がぐちゃぐちゃになってしまうというか、どう受け取っていいか本当にわからなくなりますね。 ただ、ひとつ確かに思っているのは、多々羅が法で裁かれたり、週刊誌やSNSで叩かれたりする局面とはまったく別のところで、出口の見えない闇の中を彷徨っていた杏を引き上げてくれたのは間違いなく多々羅であり、杏が彼に見せてもらった光があるのは絶対本当なので。 世間では容疑者としての顔が一面的に判断されるんでしょうけど、でも多くの人たちが知らないところで、多々羅の優しさや温もりに救われた人がいた。それを映せたことは、映画にしかできないと思う、ということです。 ―大切なことをおっしゃられたと思います。例えばニュースで、犯罪事件が情報として入ってくると、センセーショナルな見出しと事件の概要で我々は認識する。でも、それって実際には事柄と事柄の間が抜けている感じがするんですよ。 河合:はい。 ―でも『あんのこと』を観ると、肝になるのが「瞬間」だという気がしたんです。つまり物語のアウトラインとしては、杏/ハナさんの痛ましい選択は変えられないし、多々羅の逮捕という残念な事実もある。しかし流れで観ていくと、幸福な瞬間が確かに訪れるときがいくつもある。杏が世界に祝福される瞬間の数々が映っている。そこで僕は、救われる映画だなって思えたんです。 河合:うん、そうだといいなと思いますね。あまりにも辛い現実を映しているので、「救いがない」という意見や感想も出てくるかもしれないんですけど。 いま、お話ししながらすごく思ったのは、杏の境遇を観客の皆さんは事前情報として持って映画を観るわけですよね。でも「起こってしまったこと」を超えて、いま生きている杏の姿と、彼女に起こるいろんなことの瞬間に心を奪われるような作品になっていたら本望だし、映画にしかできないことができたんじゃないかと思います。 じつは杏を演じたあとに、ニュースでちょっと近い内容の事件が流れてきたんですね。ああ、やっぱりこういうことって現実に起こっているんだな……ってすごく重く受け止めはしたんですけど、でも記事を読む限りでは、そのときに被害者の女の子が何を思っていたのかは入ってこないじゃないですか。 その簡単には見えない部分を、大変な作業ではあったけれども、入江監督をはじめチームみんなの想像力を最大限使って映画にした。もちろんささやかな試みではあるんですが、誰も目を向けようとしない場所に光を当てるという映画の持てる可能性が、社会にとっての一抹の救いになったらいいなと思うんですよね。 スタイリスト:高橋茉優 ヘアメイク:廣瀬瑠美
インタビュー・テキスト by 森直人 / 撮影 by 西田香織 / 編集 by 今川彩香