【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(3)
入里節行ったんだからね。朝、夜明けてさ、デッキに上がったら、こんな美しい山だったんだなと思ったら、もう感動で、涙ポロポロ出た、あのときは。ねえ。また来年も行く。今年も行ったんだけど、上陸できなかったけどね。 でもね、(みなさん)昆布なんか手伝ったっていうけど、私手伝ったことない。父が怒る。邪魔だって。ね。そのかわりね、兄と姉がね、すんごい働き手、小学校出たらもうすぐね、学校行かないで働き手んなってたからね。で、何ていうの、季節労務さんも、秋なったら、もう帰っちゃうでしょう。だから、毎年来てた人がいて。その人に、あれだ、そういうのやら、こういうのやらで、島はいいかったよ、やっぱり。あのまんま暮らしてたら、ほんと頭変なるな、あんまりのどかで、静かで。だって、何考えればいい、食べ物も自分で獲れるべし。ね。そう、そうだったよ。お米さえとれば。 ―ご主人も北方領土出身? ない、ない。旭川の旭川生まれの旭川育ちだ。だから、海ものはあんまり食べない。ホヤなんか食べたら、「胸悪いや、そっち向いて食べれ」って、いっつも怒られた。農家ね、上川百万石で生まれて育ったからね。でも、私、子供いなかったから、ね、だから、何ていうの、生活も楽。でね、主人はね、長男だったけど、教育大出て小学校の先生なって、お父さんが死んでから、お父さん会社やってたから、会社の跡継いだけどね。 先生やから、いろんな知ってるわな。だけど、地図だけは知らない。いろんな歴史の話聞いたよ。みんな頭に入ってる。ね。だから、そのころからも、わかんないことはね、もう恥じないでね、聞くの、主人にね。だけども、「こんなものもわからないか」って頭たたかれたらはら立つからさ、図書館通い。今でも図書館通いする。だから、根室来てからもね、根室のこと知りたいからね、図書館行って、根室の人より根室知った。ねえ。 今は坐骨神経痛で、こうやると痛いけど、来た当時は新しい自転車でね、もう納沙布までね、自転車でふっ飛ばした。 ―12月15日の日露首脳会談にどんな期待を寄せるか。 うん、期待は寄せるよ。ね、根室、こんな不景気なんだから、ね、海だけでもと思うわね。だけども、やっぱり私方、ここで生まれたから、これ(国後)か、これ(択捉)か一つ返してほしいなと思うよ。ねえ。そうでない。そうすれば、全然、ここだけ、海、広くなるから、やっぱりどっちか一つでいいから、ね、返してほしいです。