「虎に翼」登場人物が“振り切り”すぎ? 朝ドラなのに“王道”じゃない、異色作がヒットしている「その理由」
■フィクションでは曖昧にされてきたこと 『虎に翼』は、日本で女性初の裁判官になった三淵嘉子をヒロイン寅子のモデルにしたリーガルエンターテイメントとして、開始早々から、戦後、国民の平等を謳った日本国憲法第14条を登場させ、視聴者の心を震わせた。 このドラマ独特の現象だが、女性問題に興味の強い女性や、法律の仕事に従事している女性たちがSNSでしきりに賛同している。それがドラマの人気を底上げしていることは確かなのである。
男性優位社会で、スンッとした澄まし顔で爪を隠して生きていかざるをえない苦労や、せっかく実力で仕事を得ても結婚や出産によって一時キャリアを諦めないとならなくなる理不尽や、妻や母や仕事やすべてにおいて満点を求められる重責……など、登場人物の体験と心情を自分に重ねて涙してしまう人たちも少なくない。 これらもまた、これまでしっかりと言及されてこなかった現実であり、フィクションでは曖昧にされてきたことをフィクションでこそしっかり描く、その姿勢に支持が集まっているのではないだろうか。
いまの朝ドラブームの火付け役となった『ゲゲゲの女房』(2010年度前期)で語られた名台詞に「見えんでもおる」というものがある。 これは妖怪、あるいは亡くなった人たちと人間は共生しているのだという認識だが、『虎に翼』の場合、現実に存在しているにもかかわらず言及される機会の少ない少数派の人たちの存在を、当たり前にテレビのフレームの中に存在させようとしている。見えなくない、そこにいる、ということなのだ。
とりわけ第11~13週にかけて続々と、先入観を揺さぶる描写を盛り込んできた。 まず、寅子の同期の轟(戸塚純貴)の、同性の友人・花岡(岩田剛典)への恋愛感情らしきもの。それまでそれらしき素振りはなく、轟自身も自覚がなく、よくわからないながら彼が自分にとってとてもかけがえのない存在であったことだけは自覚するという場面が突然描かれたことに、共感する視聴者、戸惑う視聴者、さまざまな意見がSNSで飛び交った。