〈解説〉プーチン政権が救わなければならなかった男の正体 ロシア大規模身柄交換の真意、保安局の元大佐とは?
名前が変わる
ベリングキャットによれば、クラシコフに対し、逮捕令状が出されたという事実そのものが、当局のデータベースから消去されたのだ。ここで彼の足跡はいったん、途絶える。 そして、再び表舞台に出てきたのが、19年のことだ。ドイツの首都ベルリンの公園で、ロシア南部チェチェン共和国の独立派勢力の一員だったジョージア(グルジア)人、ゼリムカン・カンゴシュビリを白昼、銃殺した。このときもクラシコフは自転車を使ってカンゴシュビリに近づき、銃撃している。 クラシコフはドイツの警察に拘束されたが、そこで発見されたのは、「ワジム・ソコロフ」という偽名が記されたパスポートだった。生年月日も本来の1965年から、1970年に書き換えられていた。これは、明らかにロシア政府が関与して、クラシコフの素性を隠していたことを示している。
「愛国者の開放を望む」
クラシコフが逮捕された当初、関与を疑われたロシア政府は「まったくのいいがかり」(ペスコフ大統領報道官)と断じて、政府の関わりを否定した。しかし、事態はその後、大きく変化する プーチン大統領が今年2月、米国人TV司会者のタッカー・カールソン氏のインタビューに答える形で、「米国の同盟国において」「コーカサスでの戦争でロシア軍兵士らを殺害した狼藉者を排除(殺害)した〝愛国者〟の解放を望む」と明言したのだ。
つまりこれは、チェチェン紛争でロシア軍と戦ったゼリムカン・カンゴシュビリを殺害したクラシコフの解放を望むということを意味する。 ただ、実際にクラシコフがどれほどの〝愛国者〟だったのかは疑問が残る。そもそも彼はなぜ、ドイツに渡るために偽のパスポートを政府から渡されるような人物になったのだろうか。 実はクラシコフは13年に先立ち、07年にもロシア北西部カレリア共和国での殺人事件にかかわった事実が判明している。地元の議員が失踪し、数カ月後にはバラバラ死体となって森に捨てられていたところを、地元住民に発見された。 その犯人の一人として浮かび上がっていたのがクラシコフだった。べリングキャットによれば、事件の7年後の14年に、同事件の犯人とされる容疑者2人が拘束され、その一人か、もしくは3人目の容疑者が、クラシコフだった可能性が高いという。クラシコフは事件の直前に、犯行現場の近くのホテルで宿泊していた事実が判明している。 クラシコフは当時、13年のモスクワでの殺人事件の容疑者として、警察が捜査を進めていた。しかし、15年には突然、その捜査は打ち切りとなったのは、前述したとおりだ。さらに、モスクワの事件だけでなく、カレリア共和国の事件も嫌疑が不十分として、当局は15年に捜査を打ち切った。