〈解説〉プーチン政権が救わなければならなかった男の正体 ロシア大規模身柄交換の真意、保安局の元大佐とは?
治安機関がリクルートか
いったい、何が起きたのか。なぜクラシコフはその4年後の19年に突然、偽名を使ってドイツに入国し、プーチン大統領が忌み嫌うチェチェン独立派の殺人事件を起こしたのか。 この疑問に対し、ベリングキャットは「最も有力なシナリオ」として、ひとつの仮説を提示する。この仮説は、十分に可能性があると筆者も考える。 それはつまり、13年の事件以降にいったんは治安当局に逮捕されたであろうクラシコフは、その際に当局の要求を受けて、FSBの手先として、海外でロシアの敵とされる人物の殺害を行うヒットマンになることに同意したというものだ。 ロシアの治安機関は、犯罪歴を持つ人物を、海外での暗殺行為などのためにリクルートすることで知られる。これは、犯罪歴があれば過酷な刑罰と引き換えに、いわゆる〝汚れ役〟を担わせることが容易だからだ。ちょうど、ウクライナ侵攻で注目された私兵集団「ワグネル」が、刑務所の囚人らに刑罰を軽減させる代わりに、兵士として雇い入れて最前線の戦場に投入した構図と似ている。 さらに、クラシコフにはすでに過去に、FSBで勤務した経験があるとみられている。治安機関はFSBや警察官などとして働いた経緯がある犯罪者を、特に〝有望〟な人物とみなすという。
治安機関出身のプーチン大統領も同様に、政権幹部らの忠誠心を高めるために、対象者の〝弱み〟を握り、恐喝する手法を取り入れていると指摘される。治安機関員であれ、政治家であれ、そのような強い〝忠誠心〟を持つ人間こそ、プーチン政権の力の源泉だといえる。 逆に言えば、そのような人員を守ることができなければ、プーチン政権の求心力は瓦解する。ましてやその人員が、指示された作戦に成功したのだとすれば、プーチン氏はその人物を絶対に救わなくてはならない。さもなければ、国を統治する最大の権力である治安機関の信頼を勝ち取ることはできない。
厭戦ムードへの対応
ウクライナ侵攻をめぐっては、すでに開始から2年半が過ぎ、さらにこの身柄交換の直後にはウクライナ軍がロシア国内への越境攻撃を本格化させるなど、ロシア国内での厭戦ムードの高まりは疑いようがない。そのような状況の国内を引き締めるためには、治安機関の役割は一層重要になる。 海外での〝重要任務〟を遂行して成功させた治安機関員を守るというプーチン政権の狙いが、今回の大規模身柄交換につながったことは疑いようがないだろう。 ただ、今回の大規模身柄交換では、米紙ウォールストリート・ジャーナルのゲルシコビッチ記者のほか、ロシアの野党指導者であるイリヤ・ヤシン氏、ロシアの人権団体「メモリアル」の幹部だったオレグ・オルロフ氏など多数の記者や反体制活動家らがロシアから解放された。米政府によれば、ロシア側が解放したのは16人で、米国などは8人(さらに、子供2人)だった。 人数だけで単純な比較はできないが、プーチン政権が治安機関員の解放をことさらに執着した事実は、治安機関に深く依存するプーチン政権を取り巻く状況を改めて浮き彫りにしている。
佐藤俊介