海外の日本人コミュニティーを支えた邦字紙、苦境から未来をつなぐ
そんな「まにら新聞」には、記者志望の若い日本人が集まってくるようになる。野口さんが彼らに命じたのはサツ回り。警察署に張りついて情報を得る、日本の新聞記者の1年生がまず受け持つ仕事だ。それを外国で、英語やタガログ語でこなさなくてはならない。なかなかにしんどいのだが、こうして揉まれた記者は、やがて日本の大手新聞社や通信社に中途でどんどん採用されていった。「まにら新聞」は若手記者の登竜門でもあったのだ。 「でも、地回りの記者はいたのですが、日系企業を地道に回って広告を取る営業マンはいなかった」 石山さんは言う。取材力はあっても、経営はずっときつかったところに野口さんが亡くなり、コロナ禍によって紙面版は終止符を打たれた。今後はウェブ版のみの展開となる。
世代と言葉を超えて、邦字紙は続く
2022年1月、ブラジルでは新たな邦字紙「ブラジル日報」が生まれた。現地サンパウロで設立されたNPO「ブラジル日報協会」が「ニッケイ新聞」のスタッフや購読者を引き継いで創刊した、いわば後継紙だ。経営難の紙媒体を引き継ぐという難題に名乗りを上げた、理事長の蛯原忠男さん(72)は言う。 「紙の新聞だって、まだ5年は伸びると思っています。その間に、ウェブのほうをどれだけ普及させられるか」 いまやブラジルのすみずみにまで根を張り社会に貢献している日系人のため、またブラジルと日本の架け橋となる紙面を目指す。 「ブラジル日報」の編集長には「ニッケイ新聞」から深沢さんが就任した。これからはポルトガル語版の紙面を充実させていくことも考えている。 日系2世以降の世代は、すでにポルトガル語を母語としているからだ。紙面で扱う話題は日系社会や日本のことでも、言葉はポルトガル語。そんな時代を迎えつつある。 「日本語では、世代を超えられない。でも日本人の移民が持ち込んだスピリッツは、言葉を超えて伝えられるのではないか。日本語を使わなくなった世代にも合わせて、生き残っていきたい」(深沢さん)