なぜコントレイルはクビ差勝利で史上初の父子無敗3冠偉業に成功したのか?
「長い距離を走るので仕上げすぎないように心掛けた」と、追い切り後の会見で話していたが、大一番を前になかなか明言できることではない。この微妙なさじ加減が折り合いを欠いてのエネルギーロスを最小限に食い止めることにつながったように思える。 矢作調教師は、極度の重圧を乗り越えての勝利に「本当に疲れました。最後は接戦になったけど、負けないということは凄いこと。本当に素晴らしい馬です。まだ少しですが、競馬場で実際にお客さんに見てもらえて良かった。コントレイルは神様からの授かり物」と目尻を下げ、うなずいた。 福永騎手も、いまが騎手人生のハイライト。運命の大一番を迎えても冷静沈着だった。馬を信じての騎乗。コントレイルが行きたがったところで慌ててしまい、少しでも制御できていなかったら栄光はつかめていなかった。 「コントレイルには長い距離を走って”お疲れさま”と言ってあげたい。正直、彼にとって、この距離は長かった。きょうはベストパフォーマンスを発揮できたわけではないが、それでも死力を尽くしてくれた。ディープに続いて、その息子が無敗での3冠達成するなんて世界でも類を見ない偉業。その鞍上にいたことは誇りです」 そして天才ジョッキーとして名をはせた福永洋一元騎手の息子として競馬の世界に入ったことからコントレイルに自らの姿を重ね、こんな言葉で喜びを伝えた。 「僕はコントレイルほどできた息子でないけど、騎乗依頼を含めてすべて天からの授かり物。幸運な縁。この上ない幸せを感じる」
偉大な父ディープインパクトは昨年7月、17歳でこの世を去った。現役時代はG1、7勝。その産駒はコントレイルと同じ2017年生まれの現3歳世代までだとトータル1390頭が競走馬デビューし、活躍馬は枚挙にいとまがない。菊花賞に限っても3年連続を含め過去5年で4頭が勝利。牝馬の活躍も目立ち、ここまでは3冠牝馬でG1、7勝のジェンティルドンナが代表産駒とみなされている。 しかし、コントレイルは2歳時にホープフルステークスを勝っており、3歳10月の時点ですでにG1、4勝だ。今後の路線は未定だが、ジャパンカップから有馬記念と王道を歩むことは濃厚と見られている。 ディープの最高傑作となることはもちろん、ディープ超えも可能だ。 「これからは無敗の牝馬デアリングタクトや古馬と対戦していくことになる。きょうは新たなスタート。日本一強い馬になるように一緒にがんばっていきたい。そのために、もっと技術を磨いて楽に勝たせてあげられるようにならないといけない」 1964年、東京五輪の年にはシンザンが戦後初の3冠馬となり、近代競馬の礎を築いた。新型コロナ禍で五輪が中止となった今年は同年に牡、牝ともに無敗の3冠ホルダーが誕生した。運命の糸に導かれたように…最強ホースの座を求める戦いは続く。