地域ブランド“八丁味噌”の登録に含まれず…老舗『まるや八丁味噌』ピンチをチャンスに変える75歳社長の奮闘
「徳川家康」を尊敬してやまないという浅井社長に聞いた。
Q.家康だったらこの状況を何と言うと思うか 浅井社長: 「『屁でもねぇことだ』と言われそうだ。起きたことはしょうがないことなので、必ず、よく言う『明日は来るよ』。命まで取られることはない」
■江戸時代から頑なに守り続けてきた昔ながらの製法
愛知県岡崎市の八帖町(はっちょうちょう)にはその名の通り、八丁味噌の蔵が連なっている。
八帖町は徳川家康が1542年に誕生した岡崎城から西へ八丁、約870メートル離れたところにある。老舗の味噌蔵、「まるや八丁味噌」は、江戸時代から頑なに、昔ながらの製法で味噌を作り続けてきた。
原料の大豆を蒸して、麹菌で発酵させた「味噌玉」を、直径2メートル以上もある木桶に流し込み、足で踏み固めて余分な空気を抜く。
梯子を登り、桶を見渡してみると、景色が変わる。
浅井社長: 「おそらく何百年間もここで使われている。整然としてここにいる。これを昔、誰が触ったのか。少なくとも私がいま75歳で、ここに40年ぐらいいるんですけど、変わったことはないなと思って。淡々とこの風景は続いているんですよね。それを踏襲していくことが私どもの役割かなと。これを着実に守っていきたいなと」
■「東海地方の味」が「世界の味」へ…海外からの引き合いが高まる八丁味噌
受け継いできた伝統。その1つが仕込み帳、いわゆるレシピだ。 1721年に書かれたという八丁味噌の「仕込み帳」。これが忠実に守られ、「東海地方の味」として、親しまれてきた。
八丁味噌はいま、健康志向の高まりや円安の影響で、海外からの引き合いが高まっている。 深いコクが他にはないと評価され、20カ国以上に輸出。
インバウンドの波に乗り、外国人の見学客も増えているという。
浅井社長: 「やっぱりアメリカ多い。フランス人ツアーとか、ドイツも来るし。ヨーロッパ全域から。スペインも来るし、イタリアも来るし。日本の代表的な伝統を守り続けている、それを皆さんに紹介したい」
■「ピンチはチャンス」と次々と新たな取り組み
GI制度の問題で「まるや」は「八丁味噌」の名称を2026年から自由に使えないことになったが「ピンチはチャンス」と、浅井社長が新しい手に打って出る。 この日、浅井社長は岡崎市にあるスーパーマーケット「ヘルシーメイト」を訪れた。浅井社長自ら店頭に立ち、八丁味噌で味噌汁を作ってお客さんに試食してもらう。