凶悪殺人犯がこぞって愛読!? 『ライ麦畑でつかまえて』がアメリカで禁書になった理由とは
1980年代、音楽家ジョン・レノンの殺人犯、ロナルド・レーガン大統領の殺人未遂犯、そして女優レベッカ・シェイファーのストーカー殺人犯がこぞって愛読した本がある。それが、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』だ。日本でも村上春樹が新しく訳す(キャッチャー・イン・ザ・ライ)など親しまれている作品だが、アメリカではなんと禁書扱いされているのだという。本稿では、文豪100人の「こじらせた逸話」を紹介する書籍『こじらせ文学史』から一部を抜粋・再編集し、この事実に迫る。 ■『ライ麦畑でつかまえて』ヒット後のサリンジャー サリンジャーは極度の秘密主義者だった。『ライ麦畑でつかまえて』が大ヒットすると、彼は都会ではプライヴァシーが守れなくなることを恐れ、ニューハンプシャー州のコーニッシュというかなりの田舎町に移住する。 当地の高校生たちと親しくなり、学校の壁新聞に載せるという約束でインタビューに応じたが、内容を大新聞にリークされると激怒し、地所のまわりに高さ2メートル以上の塀をめぐらせ、他人に入られないように囲ってしまった。 その後も教会の行事などには出席したが、人と積極的に関わろうとしない生活を続けた。人嫌いが嵩じて創作さえ億劫になったらしく、大ベストセラー作家にもかかわらず、ほとんど作品を出版していない。1985年、自分の書簡をもとに伝記が書かれた際には、刊行に異議を唱えて裁判を起こしている。高すぎる壁に囲まれた家で孤独に暮らし続け、91歳で老衰した。 なぜ、彼は田舎町で隠者のような暮らしを送り、新作の発表をしなくなった(できなくなった)のか? そこには、作品が禁書扱いされていたという事実が密接に関わっているように思える。 ■ジョン・レノンの殺人犯やレーガン大統領の殺人未遂犯が愛読 『ライ麦畑でつかまえて』は1951年7月にアメリカ国内で発売されてからすぐさま大ベストセラーになったが、同国内の学校や図書館でもっとも検閲された本としても有名で、いまだに禁書の扱いを受けている。 50~70年代は、世間に馴染めなかったサリンジャー本人を思わせる主人公のホールデン・コールフィールドという4つめの高校をドロップアウトしたばかりの少年が、未成年なのに酒で苦痛を和らげ、「Fuck」などのFword(不適切言語)を多用し、喧嘩したり、娼婦を買おうとしたりといった行動全般に含まれる「反抗性」が問題視された。 さらに80年代になると、音楽家ジョン・レノンの殺人犯、ロナルド・レーガン大統領の殺人未遂犯、そして女優レベッカ・シェイファーのストーカー殺人犯たちがいずれも『ライ麦畑でつかまえて』の愛読者であったことから、違う意味で官憲から目をつけられてしまった。 1世紀の「狂王」ルートヴィヒ2世や、ナチスのアドルフ・ヒトラーに愛好されたことでリヒャルト・ワーグナーの音楽が「弱い者を奮い立たせ、陶酔させる音楽」というレッテルを貼られたのと同様に、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて』も、3人の重大事件の犯人から愛されてしまったことで、アメリカでは永久に「やばい本」の扱いを受ける運命となったのだ。 ■問題児が「彼ならわかってくれる」と妄想してしまう? どこがそんなに「危ない」本なのか? オリジナルタイトルにもある「the Catcher in the Rye(それっぽく訳すなら『ライ麦畑の捕まえ手』)」は、ホールデン少年が自分の夢として、ライ麦畑の端の崖っぷちに陣取り、こちらに向かって走ってくる子どもたちをキャッチして奈落に落とさないようにする人間になりたい、と語る第2章の終わりのシーンが由来になっているようだ。 しかし、サリンジャーや作中のホールデン以上に人生をこじらせてしまっている「問題児」たちが、この部分に「彼なら自分をキャッチしてくれる」「わかってくれる」と妄想を募らせてしまうらしい。 該当箇所に具体的な問題があるわけでもないし、ホールデン少年が夢見る「ライ麦畑の捕まえ手」も決して異常なものではなく、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩で語られている「ワタシ」がなりたい理想の人間像に近いだけのような気もするのだが……。 いずれにせよ、2006年までは全米図書館協会の発表する禁書の上位リスト常連本だったという事実には驚かされてしまうし、現在においてもなお『ライ麦畑でつかまえて』=禁書というイメージは強いようだ。
堀江宏樹