日本軍「元海軍中尉」が明かした「太平洋戦争極秘任務」だった「世界最大”海底空母=潜水艦”計画」、その”ヤバすぎる全貌”…!
米軍の補給路「パナマ運河」を爆砕せよーー。太平洋戦争の最終盤、こんな極秘任務を帯びた当時世界最大の潜水艦が日本海軍に就役したのをご存じだろうか。その名は「伊400型」。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…! 常備排水量5223トン、全長122メートル。「大きすぎて潜航の後に浮上できるか心配だった」。乗組員がこう回顧するほどひときわ巨大な潜水艦は特殊攻撃機「晴嵐」3機を搭載し、米本土東海岸への往復攻撃も可能だった。戦後、米海軍が重要参考艦として研究し、戦略型原子力潜水艦の先駆けにもなったとされる。 その全貌に迫った新刊「伊400型潜水艦」(「丸」編集部、潮書房光人新社)が関係者の間で話題をさらっている。数奇な運命をたどった世界最大の「海底空母」について、約30年前に掲載された元海軍中尉・佐藤次男氏の手記を一部抜粋・再構成してお届けする。
度肝を抜かれた「全長122メートル」の巨大潜水艦
「パナマ運河とその周辺の総ての資料を集めるように」。私がこんな初仕事を指示されたのは1945年1月12日のこと。当時の太平洋の戦況に比べあまりにもかけはなれた思いもよらない地名だったので大変驚いたが、同時にひょっとすると奇想天外な隠密作戦がいま現実に用意されようとしているのかも知れないと緊張し、上気した。 私が所属していた六三一空は特殊水上攻撃機「晴嵐」の部隊であり、訓練を済ませ次第、第一潜水隊の潜水艦に搭載され、合同訓練を経て出来る限り早くパナマ運河攻撃作戦に出撃する手筈であることを知るようになっていった。 私は呉の桟橋に接岸した全長122メートルもある潜水艦の大きさに度肝を抜かれたが、同時に、日本海軍がヒコーキもフネもほとんどなくなった状況下で乾坤一擲、米軍に一泡吹かせることができる戦力になるに違いないと頼もしく思った。
米国の急所を叩け!
「潜水空母」構想の発想元は連合艦隊司令長官の山本五十六大将だった。 真珠湾攻撃とマレー沖海戦が成功し、南雲艦隊が瀬戸内海に戻ってきた1941年12月24日ごろから、山本長官は第二、第三の作戦について思いを巡らせていた。 米国の急所を叩くため、攻撃機を積んで米東海岸まで行ける長大な航続距離をもった潜水艦を造れないものか。もし造れればこれを米本土東海岸にまで進出させて、攻撃機を飛ばして東海岸大都市に爆弾の雨を降らせ、米国民の戦意を喪失させるーー。 長期戦が不可能とみていた山本長官には、対日戦を早期和平に導くという狙いがあった。 構想は順調に進み、1942年6月には伊400型は戦略的効果を期待され一挙18隻の建造計画が決定した。ただ、同年後半から雲行きが怪しくなる。作戦効果を疑問視したり、資材の調達難を指摘する声などが大きくなる。さらに、1943年4月には前線部隊の激励に向かっていた山本長官の一式陸攻が敵戦闘機に攻撃され、戦死する不運も重なり、有力な後ろ盾を失った計画は推進力を失い、紆余曲折を経て5隻に規模縮小となった。