「父と二人で這い上がってきた」偏差値74の進学校から挑んだ“最初で最後の”全日本ジュニア<全日本卓球2024>
年に一度開催される全日本選手権(以下、全日本)は、各地の予選を勝ち抜いた者のみが出場できる、まさに“日本一を決める大会”だ。 ジュニアの部を含め、全日本に出場するのは各地の強豪クラブ、強豪校に所属する選手がほとんど。だが、中には進学校に通いながら出場を決めた選手もいる。 熊本県トップの進学校である熊本高校から出場した小笠原草之介もその一人だ。 小笠原は一回戦で大畑瑛祐(白子高)と対戦。冷静なプレーの中で気迫を前面に押し出し、両ハンドで撃ち合う卓球で真っ向勝負を挑むも、ゲームカウント1-3で惜しくも敗れた。 そして試合後、小笠原の口から真っ先に出てきたのが「悔しい」という言葉だった。
ジュニア男子シングルス1回戦
小笠原草之介(熊本高)1-3 大畑瑛祐(白子高)〇 10-12/11-9/9-11/8-11
父との二人三脚で掴んだ全日本
小笠原は、小学生で熊本県に来るまで兵庫県で暮らしていた。卓球は、今大会でもベンチに入った父親の淳さんと、お姉さんの3人で、神戸にあるメトロ卓球場で始めたという。 「当時は卓球は遊び程度で、どちらかと言えばサッカーの方を頑張ってましたね。『サッカー選手になりたい』って思っていたので」 しかし、熊本に引っ越してからは卓球一本に絞り、小学校4年生頃から本気で練習に打ち込むようになった。 練習はクラブチームではなく、卓球経験者だった淳さんと二人三脚で行ってきた。 「最初は、夜間の卓球クラブのおじいちゃんたちに台を分けてもらって、週に2回程度練習していました。でも、なかなか試合に勝てないので悔しくて、『次勝つためにはどうすればいいか』ということを、二人で分析しながらやってました」 その甲斐もあって小笠原は徐々に力をつけていき、試合にも勝てるようになっていった。しかし、目標としていた全国大会出場にはなかなか届かず、中学生最後の大会でも涙を呑んだ。 そして、中学卒業後は熊本県トップの進学校である熊本高校に進学した。 「卓球をもっと頑張るために『高校では強豪校で強くなりたい』という気持ちもありました。けど、勉強も卓球と同じぐらい頑張っていたので、最終的には『勉強も卓球も頑張って全国大会を目指そう』と決めて、熊本高校に進学しました」 文武両道の道を選んだ小笠原。高校進学後はほとんど毎日練習を行ってきた。 「平日は基本的に父と練習していて、近くの熊本学園大学の練習にお邪魔させてもらったりもしています。土日は市の総合体育館で朝9時~13時まで2人で練習をしてきました。あとは、家に卓球台を買って、夜は21時から23時まで練習しています」 そんな猛練習の甲斐あって、高校1年次には国体少年男子の熊本県代表に選出され、2年次にはインターハイでシングルスに出場。慶誠や開新といった全国大会常連校の選手がひしめく熊本県から全国の舞台に立っていることが、その実力の高さを物語っている。 そして、今回の全日本選手権も、競争激しい熊本県予選を勝ち抜いて、見事ジュニアの部の代表権を勝ち取った。 高校2年生の小笠原にとって、ジュニアの部は今回が最初で最後。 「ここまで父と二人で這い上がってきたので、何としてでも勝ちたかったんです」