「風流」ちりばめた数寄屋建築 琵琶湖の湖畔にたたずむ蘆花浅水荘
「たとえ船が流されてしまっても蘆(あし)の花が咲く浅瀬の辺りだろう」。釣り人が船をつながずに休憩する情景から唐の詩人・司空曙は「江村即事」でゆったりとした時間を詠んだ。結句の「只在蘆花浅水邊」から名前を取ったのが、大津市出身の日本画家、山元春挙(しゅんきょ)(1871~1933)のアトリエ兼別宅として知られる「蘆花浅水(ろかせんすい)荘」(同市中庄1)。琵琶湖の湖畔にたたずむこの屋敷には、100年たった今も春挙のこだわり抜いた美意識を堪能できる「ゆったりとした時間」が流れていた。【飯塚りりん】 【写真】照明や柱など全てが竹で作られた「竹の間」 蘆花浅水荘は1921年に建てられた2階建ての数寄屋建築。春挙自身が設計やデザインに関わり、国の重要文化財にも指定されている。案内してくれたのは、蘆花浅水荘活性化推進委員会の池内博司さん(47)。特におすすめの場所を聞くと、「魅力は三日三晩でも語り尽くせない」と笑顔を見せながら2部屋を紹介してくれた。 隠し部屋のような小さな書斎「無尽蔵」。春挙はここで尽きることがない絵の構想を練ったのだろうか。見上げると、素材が縦横に編まれる網代(あじろ)天井になっていたが、「一般的な竹ではなくてアシなんです」と池内さんがニヤリ。さすが「蘆」の花がテーマになっている屋敷だ。 無尽蔵を奥に進み、春挙直筆の竹の葉が描かれたふすまを開けると、「竹の間」が広がっていた。柱、窓、照明、小物類など部屋にある全てが「竹」で作られている。 「極めつきがある」と池内さんが得意げに指さしたのは、竹の額に入った書だった。どこに竹があるのか書を読み解こうとしていると、「作者が藤井竹外」と池内さん。そんなふうに「竹」を隠すなんて。思わず声を出して笑った。 竹で作られた円窓から外を見ると、目の前に梅の木が、そして奥には庭園に植えられた松も垣間見え、「松竹梅」を味わえた。ぜいたくな光景に胸がいっぱいになり、部屋を出ようと手を伸ばしたふすまの引き手は竹製のスズメ。開けると窓の外に竹が植えられていて、竹に向かって飛ぶスズメを連想させた。 ちりばめられた「風流」はまだ続いた。仏間にある複数のふすまの引き手は半月になっていて、座って見比べると微妙に高さが違う。月が空に上がり、沈んでいく様子を表しているという。「凝り過ぎです」という池内さんと一緒に苦笑いした。 当時、春挙は京都で絶大な人気を集めていた。なぜ滋賀に屋敷を建てたのか。一緒にいた孫の寛昭さん(81)に尋ねると、「京都のうるささから逃げたいという思いもあったのではないか」と教えてくれた。池内さんは「ここは決して派手ではないが、奥ゆかしくてセンスが良い。周りの自然との調和も考え抜かれている」と魅力を語ってくれた。 案内が終わり、広い庭園を見渡した。かつて使われた船着き場があり、琵琶湖と一続きだったことがうかがえる。春挙は自然に囲まれた遊び心満載のこの屋敷で、つかの間の休みを楽しんだのだろう。時間を忘れてそんな想像ばかりしていた。