米国の「マスキー法(大気浄化法改正法)」が制定、これが日本車の世界での躍進のキッカケとなった【今日は何の日?12月31日】
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日12月31日は、世界の自動車メーカーを震撼させた米国の大気汚染改正法(通称、マスキー法)が制定された日だ。マスキー法とは、米国都市部で大気汚染が社会問題となったことを受け、1975年以降に製造される自動車の排気ガスを、1970年~1971年基準の90%以上減少させるという極めて厳しい排ガス規制である。 TEXT:竹村 純(JUN TAKEMURA) マスキー法に適合したCVCCエンジンの詳しい記事を見る ■自動車メーカーを震撼させたマスキー法の制定 1970(昭和45)年12月31日、米国で「大気浄化法改正法(通称、“マスキー法”)」が可決され、ニクソン大統領がこの法案に著名して制定が成立した。厳しさのあまりメーカーの反対を受けてマスキー法は施行されなかったが、一方日本ではこれに倣った日本版マスキー法を施行し、日本メーカーはこれをクリアすることに成功。これを機に、日本車は世界で最もクリーンで燃費の良いクルマと世界中に認知されるようになった。 90%以上の排ガス低減を強いるマスキー法、しかし実質的な廃案に 米国では1930年頃からモータリゼーションが始まり、自動車の急増とともに1950年代には都市部で大気汚染の問題が顕在化し始めた。これを受けて、大気汚染の発生源として自動車がやり玉に上げられるようになり、排ガス規制が徐々に強化されるようになった。 その決定版として登場したエドマンド・マスキー上院議員が提案した「大気浄化法」の改正案(マスキー法)が米国上下院で可決され、1970年の最終日12月31日にニクソン大統領がこの法案に著名して制定が成立した。 その内容は、1975年以降に製造される自動車のCO(一酸化炭素)およびHC(炭化水素)を、1970年~1971年基準から90%以上低減、1976年以降に製造される自動車から排出されるNOx(窒素酸化物)を、1970年から1971年基準から90%以上低減するという非常に厳しいものだった。 この規制は、米国メーカーだけでなく世界の自動車業界に衝撃を与え、当然のことながら米国のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)は実現困難と主張し、実際の施行について紛糾。内容の修正が続き、結局1973年には骨抜き状態の実質的な廃案に追い込まれた。 メーカーの大反対に加え、1973年に起こったオイルショックによるエネルギー危機が、廃案の追い風になったのだ。 ホンダのCVCCエンジンが世界で初めてマスキー法をクリア マスキー法の施行で揺れる中、ホンダは独自に開発したCVCCエンジンによって世界で初めてマスキー法をクリアするという偉業を成し遂げた。 1972年10月に、ホンダは新開発の低排ガスCVCCエンジンを公表。CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion:複合過流調整燃焼)エンジンは、副室付燃焼室方式によって希薄燃焼を実現した画期的なエンジンだ。副室で点火着火した火炎がトーチノズルを通して主燃焼室に噴流となって噴出、これにより主燃焼室に強い渦流が起こり、全体として希薄な混合気でも安定した燃焼が成立し、有害成分のNOx、HC、COが低減する。触媒などの特別な浄化装置は不要で、エンジンのシリンダーヘッドの交換のみで対応できることも大きなメリットである。 ホンダは、その年の12月に米国EPA(環境保護庁)による立ち合い試験を受けて、晴れてマスキー法適合車第1号の称号を得たのだ。 日本では、マスキー法以上に厳しい昭和53年規制が導入 日本では、1968年に「大気汚染防止法」が制定され、1972年にはマスキー法に準じた排ガス規制を行なうことが決定。米国でマスキー法が廃案同然になった一方で、日本では公害防止を要求する声が高まり、厳しい規制が予定通り施行されたのだ。 1973年に排ガス規制項目がCOだけでなくHCとNOxも加えられ、その後は段階的に強化されて1978年には世界で最も厳しいといわれた「1978(昭和53)年排出ガス規制」が施行された。世界で初めてマスキー法をクリアしたCVCCエンジン搭載のホンダ「シビック」に続いて、他の日本メーカーもすべて昭和53年規制に適合。これにより、日本車は世界一クリーンなクルマとして評価され、日本車の国際的な地位が一気に向上した。 1970年代には、世界的なオイルショックも起こり、低排ガスだけでなく低燃費も重視され、それらを満足する日本の小型車は人気を獲得し、特に米国では日本車が急増。日本車にシェアを奪われたビッグスリーなどの業績が悪化し、多くの従業員がリストラに追い込まれた。 これを受けて米国から日本の輸入車制限の圧力が高まり、日本は自主規制の導入を強いられた。自主規制を受け入れた日本メーカーは、その後米国での現地生産を加速したのだ。 ・・・・・・・・・ 1970年代のオイルショックとマスキー法は、自動車業界に大きな変革をもたらした。そのような中で、真摯に排ガス対応や燃費低減に取り組んだ日本の自動車メーカーは、排ガス低減技術と燃費技術で完全に欧米を追い越した。マスキー法とオイルショックが、世界での日本車躍進のきっかけとなったのだ。 毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。
竹村 純