ベトナムが中国発大手EC「Temu」などを相次ぎ制限。中国をけん制…背景に南北高速鉄道PJか
中国やロシアとの歴史的なつながりを維持しつつも、アメリカや日本にも接近する「全方位外交」を展開してきたベトナムだが、中国発の大手電子商取引(EC)サイトの閲覧が相次いで制限・停止されている。中国に対しては「恭順」と「牽制」の2面性が指摘されてきたベトナムだけに、南北高速鉄道計画が動きだすタイミングで「経済安全保障上の対中警戒感を隠さなくなった」との見方も浮上している。 【全画像をみる】ベトナムが中国発大手EC「Temu」などを相次ぎ制限。中国をけん制…背景に南北高速鉄道PJか 「ベトナムは伝統的に中国を警戒してきたが、あえて波風立てたくない相手であるのも事実。この先どうころぶかわからないが、日本はもう少しベトナムに関心を持ってもいいのではないか」 現地日系企業の駐在員はこう指摘する。「ベトナムの強い対中警戒心・親日感情と、日本社会のベトナムに対する無関心さが釣り合っていない」とも。
ベトナムでの事業に制限が生じた「ある中国発企業」
今回ベトナムでの事業に制限が生じたのは中国発の電子商取引(EC)のうち格安通販「Temu」(テム)と、やはり安価な衣料品主体の通販「SHEIN」(シーイン)。いずれも順調に利用者数を伸ばしていたが、12月上旬までにサイト内からベトナム語の言語表示が消えたり、サイトへのログインができなくなったりした。 低価格商品が人気で利用者を急増させてきた中国発ECは、進出先の国の産業を圧迫する懸念が指摘されており、ベトナムでも10月に開幕した国会で中国ECへの警戒感が指摘され、対応策が議論されていた。 ベトナム商工省ではこの2つのサイトにECプラットフォーム事業者として事業登録手続きを完了するよう求めていたが、その登録の期限が過ぎたために事業の一時停止が命じられたとロイター通信などが報じている。 歴史的にも西暦939年、それまで約1000年続いた中華文明支配から脱却したベトナムは、その後も強大な中国の勢力に対し「恭順」の姿勢で無用の衝突を避けつつも、同時に強い警戒感からさまざまな「牽制」手段を行使してきた経緯がある。 近代のベトナムはフランスによる植民地支配や日本が進駐した第二次世界大戦時の戦火、フランスの再占領やアメリカの介入によるベトナム戦争といった混迷の時代を見事に生き延びたが、中国はそのベトナム戦争末期の1974年、前年に米軍がベトナムから撤退した間隙をついてベトナム領だった西沙諸島の南半分を武力で奪取した。 また1979年、中国が支援するカンボジアのクメール・ルージュの暴政に対抗してベトナムがカンボジアに進攻した際は、中国はこれに反発して約8万人の人民解放軍をベトナム国境に侵攻させた(ただしベトナム側は1カ月の戦闘でこれを撤退させた)。中国は冷戦末期の1988年にも、ソ連軍が南シナ海から撤退した間隙をついて南沙諸島の6つの環礁が武力で奪取している。 だが今日のベトナムにとって最大の貿易相手国は中国であり、陸上では約1150キロメートルもの国境線で隔てられた隣国であり、人的往来も多い。それゆえベトナムはロシアなどと同様に、中国とも歴史的なつながりを維持しつつ、一方でアメリカや日本にも接近する「全方位外交」を展開している。 とはいえ急激な経済成長とともに海軍力を増強し、海洋進出姿勢を強化してきた中国を相手にする場合、無用の摩擦をさける外交姿勢をベースとしつつも、南シナ海での権益をめぐって「対中警戒感」と「国防意識」をたかめてきた。 ベトナムの対中外交において「恭順」の建前、「牽制」の本音は1セットだといえる。 今年8月3日、前書記長の死去を受けて新たに最高指導者に選出されたトー・ラム共産党書記長は、初の外遊先に中国を選び、同月18日には広東省広州市でベトナム建国の父ホー・チ・ミンゆかりの地などを訪問。翌19日には北京の人民大会堂で習近平国家主席と会談するなど対中関係を重視する姿勢を示した。 もちろん中国側も2023年12月に習氏がベトナムを訪問したのをはじめ、ベトナム前書記長の死去の際は習氏自らが在中国ベトナム大使館を訪れ弔意を伝えるなど手厚い姿勢を示しており、ベトナムが安全保障面でアメリカや日本に接近する動きに釘を刺したい、との思惑もにじませている。