「お寺の奥さんには向かないぞ」両親の反対の末に“自由人な妻”を得た住職の波乱万丈生活
● 両親との話はまったくの平行線 「お寺の奥さんには向かないぞ」 しかし、目の前にいる両親との話はまったくの平行線。 「ああいうタイプはお寺の奥さんには向かないぞ」 「本人はやる気あるんだから信じてやればいいじゃん」 そう反発しながら、両親の言うこともわからないではなかった。私が見てきた両親の生き様は、端的に言えば「滅私奉公」だった。自分たちの趣味でお寺を変えようとするなんてもってのほかで、お寺の伝統を尊重して自分を律していくことこそ正義だった。 たとえば、お寺で購入する車は、日本車が原則。外車は奢侈なイメージを抱かせるからよくないらしい。父が乗っていた車種は、スカイライン、ブルーバードなど日産製のセダンと決まっていて、ボディのカラーも毎回ベージュ系の大人しいものだった。父に「今日新しい車が来るよ」と言われてワクワクして待っていても、届いてみると私と妹は「おんなじ車やん」とがっかりする始末。「友達のおうちの車、真っ赤でカッコよかったよ」と吹き込んでみても、「赤い車じゃお葬式いかれへんからな」とそっけない返答だった。
「お寺の奥さんになったら、外車はもう乗らないよね……」 両親はさらっと釘を刺してきた。私からすれば、世間体だけのために人生に制限をかけるなんて馬鹿らしかったが、逆に言えばそれぐらい徹底してお寺のために尽くしてきた両親だった。だから、趣味を生かしてお寺を切り拓こうという私たちのこざかしい態度に、心底ムカッ腹が立っていたはずである。郷に入っては郷に従えということわざのように、お寺に入るならお寺の色に染まらなければならない、というのが両親のスタンス。私の結婚相手にも、キャリアをすべて捨てて、フランス車も海外旅行もやめて、つつましい生活をしてお寺のために尽くす覚悟を求めていた。 ● 「跡継ぎ出産」 というプレッシャー 両親の生き様に敬意を払いつつも、私は一歩も引くつもりはなかった。 機が熟するのを待つのも一手だったが、私たちのほうにも悠長に年月を重ねていられない事情があった。 世間一般には「おひとりさま」で人生を終えていくのも許容される時代だが、お寺社会だと周りがそれを許さない。 お寺の跡継ぎ、つまり男児を出産することが求められるのだ。