「お寺の奥さんには向かないぞ」両親の反対の末に“自由人な妻”を得た住職の波乱万丈生活
自分自身の感性に蓋をして生きるのは、私にはとてもしんどいことだった。できることなら、自分自身の感性を豊かに育むために、仏教を実践したかった。私は、旧習の檻の中に閉じこもるのはもうやめて、妻にも意見を聞きながら、お寺社会の新しい地図をどう描くかについて、真剣に考え始めるようになった。 ● 型破りな住職が 一念発起した理由 とはいえ、言うは易く行うは難し、である。ご年配の檀家さんとばかり話してきた私は、どんな言葉を語れば同世代が振り向いてくれるのか、見当もつかなかった。 言いようもない焦りが、つのる一方だった。 当時の日本は、バブル崩壊以降の長引く不況の中で、戦後日本の社会を作ってきた終身雇用や年功序列制度が時代遅れの遺物とみなされ、代わって、若手起業家がIT技術を駆使して新しいマーケットを開拓して注目を集めていた。ITが古臭い日本の社会に次々と引導を渡していく様をニュースで見ながら、私は実に胸のすく思いを味わっていた。 お寺も、時代の変わり目を逃してはならない――。 同じ速度で革新すれば、現代にふさわしいお寺になるが、伝統を盾にして変化から目を背ければ、過去の遺物になり果てる。 要するに勝負の時が、今なのだ。 私が戦いを挑もうとしている相手は両親というよりも、両親が背負ってきたお寺全体の旧習であった。だから、同じような危機意識を持ち、旧習に引導を渡すために共同戦線を張ってくれる同世代の仲間はきっと大勢現れるだろうと、淡い期待を抱いていた。私は、実家の近くのお坊さんや、大学時代の研究者仲間、そして、奉職していた知恩院の同僚らに片っ端から声をかけた。
だが、共感してくれるお坊さんは、ほぼ皆無だった。斬新な活動に加担することで教団から干されることを恐れた人もいたし、そもそも「お寺は変わらないものだ」という理屈に矛盾を感じていない人も多かった。 知人らの気持ちがわからないでもなかった。定年制度すらないお坊さんの世界は、文字通り浄土に旅立つまでの“終身”雇用。70歳、80歳になっても現役で、いつまでも権力を握ったまま。40代、50代はまだ若手。20代の新米僧侶にはまったく発言権がなかった。ITを活用したこれからの布教の形をいくら提案しても、「インターネット」という言葉すら理解しない70代、80代のお歴々にはまったく刺さらない。「ご年配の檀家さんはパソコンを使わない」「時代に流されないのがお寺の良さ」と一蹴されるだけだった。 ● 妻と二人三脚で 発行したフリーペーパー 本当に変わらないままでいいのだろうか。 いや、当たり前が当たり前に通用しない社会は、絶対に間違っている。 新しいツールを積極的に使って、より多くの人に教えを伝えてきた結果、今日まで仏教が続いてきたはずである。変わらない価値を伝えるためには、変わり続けなければならない。「諸行無常」を説きながら変化することを拒むなら、お坊さんの生き方こそが仏教から外れているではないか。 「葬式仏教と馬鹿にされる状況を打破し、現代を生きる力にしたい」