「お寺の奥さんには向かないぞ」両親の反対の末に“自由人な妻”を得た住職の波乱万丈生活
住職の妻には、住職と二人三脚でお寺の運営を支え、護り抜くという役目がある。だが、浄土宗・龍岸寺の住職である池口龍法さんが妻に選んだのは、自らの趣味を突き詰める自由な女性だった。両親の反対を押し切って結婚した2人の生活はどうなったのか。※本稿は、池口龍法『住職はシングルファザー』より一部抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● お坊さんの結婚相手に 相応しい素質とは? お坊さんとしての理想の結婚とは何か。 決して、好きな相手と結ばれることではない。もちろん、お互いの相性がよいに越したことはないが、それよりも重要視されるのは、結婚後、お寺がうまく運営されていくかどうかである。 事実、父は母の助けを得ながら二人三脚でお寺を護り抜いてきた。そして間違いなく、私と結婚相手にもその姿を正しく受け継いでほしいと願っていたし、またそう指導していくべきだとも自負していた。だからこそ、師弟のはしごを外そうとした私に、両親は嫌悪感を露骨に示してきた。父というより師匠として、弟子である私の結婚相手の資質を見定めないかぎり、結婚を認めることはできなかったのだろう。 とはいえ、私が結婚についてまったく相談をしなかったのは、両親のそのような思惑にうすうす気づいていたからであり、結婚相手が両親の好みそうなタイプではなかったからでもあった。 「吾唯知足(われただ足るを知る)」と彫刻された急須台がダイニングで愛用されていたのを今でも覚えているが、両親はこの言葉のようにつつましく生きることを是としていた。仏教では「私たちは生きている」のではなく「生かされている」と考えるのだとよく習った。
しかし、私の選んだ相手は、両親の理想とする生き様とは対極の世界を生きていた。洗練された洒脱さを好む家に育った人で、プジョーやシトロエンなどのフランス車を乗り回し、毎年フジロックには関西から苗場まで車で往復していた。年に何度もふらっと海外に旅に出かけていった。型にとらわれない趣味の人だった。 趣味に没頭したら、とことんまで極めたい癖があるのは、実は私も同じだった。大学時代には我を忘れてクラシック音楽にのめり込み、日本国内のコンサートでは飽き足らず、本場ヨーロッパまで音楽を聴きに行っていた。ただ、幼い頃からの教育のせいで、お寺の跡取りらしさを忘れて趣味を追求しようとする自分に、どこか後ろめたさがつきまとった。自由に生きる彼女と接した時に初めて、知らず知らずのうちに心のなかに抱えていたリミッターが外れた。私も自由に生きたいと思うようになっていった。 変わり者同士であることはお互いに自覚していた。ともに音楽が好きでも聴くジャンルはまるで違ったし、私たちのあいだに共通の趣味などなかったが、一緒にいる時間は不思議なぐらい居心地がよかった。自分の知らない風景が目の前に広がって楽しかった。お寺文化は旧習に満ち満ちていたとしても、二人の趣味を生かして新しい風を吹き込んでいけると思っていた。