知られざる「エヌビディア帝国」の“始まり”、倒産危機救った「日本人」は何をした?
現在の生成AIブームの中心に君臨するエヌビディア。1993年に創業した同社は、わずか30年ほどで、時価総額でアップルやマイクロソフトを抜き、世界首位にまで登り詰めました。今や「エヌビディアを中心に業界が回る」と言われるほどの存在となったエヌビディアを築き上げた、創業者ジェンスン・ファン氏の歩みとともに、同社の成功の理由を探っていきます。 【詳細な図や写真】共同創業者のクリス・マラコウスキー氏。同氏は現在、エヌビディアの上級技術役員を務めている。なお、プリエム氏は2003年に同社を退職している(出典:エヌビディア ニュースルーム)
「両親の夢と願い」を背負い、9歳で親元を離れて渡米
ジェンスン・ファン氏は、1963年に台湾南部の台南に生まれ、5歳でタイに移住、9歳のときに親元を離れて兄とともに米国に移住しています。この移住は、会社の研修で滞米経験があった化学エンジニアの父親の希望だったようです。 母親も兄弟に英語を覚えさせようと、毎日、辞書から10個の英単語を選び書いて覚えさせたと言われています。ファン氏がのちに語っている「両親の夢と願い」が、現在のファン氏を作り上げたのかもしれません。 米国ではいじめも受けるなど、さまざまな経験をしますが、ファン氏自身は「自身の粘り強さは育ちのおかげ」と振り返っています。 10歳でケンタッキー州オネイダの学校で最年少の寄宿生となったファン氏は、飛び級でポートランドのアロア高等学校を卒業し、その後オレゴン州立大学で電子工学を学びます。ちなみに、高校時代には卓球で全国大会に出場し、ジュニア・チャンピオンにも輝いています。 大学在学中に妻のロリ氏と出会い、その後、2人はシリコンバレーに移り、好景気に沸く半導体業界で働くようになります。
パソコン市場の急成長期、1993年にエヌビディア創業
ファン氏が大学を卒業した1984年は、スティーブ・ジョブズ氏率いるアップルがMacintosh(マッキントッシュ)を発売した年であり、IBMのパソコン「IBM PC」とともに、パソコンが本格的に普及し始めた時代でした。そして半導体市場もインテルを中心に活況を呈し始めた時と言えます。 ファン氏は、半導体大手であるAMD(アドバンスト・マイクロ・デバイセズ)やLSIロジックで経験を積みながら、1992年にスタンフォード大学で電気工学の修士号を取得します。 その翌年、1993年4月5日に、ファン氏はIT大手サン・マイクロシステムズ出身のクリス・マラコウスキー氏、IBMとサン・マイクロシステムズで経験を積んだカーティス・プリエム氏とともに、エヌビディアを創業します。 3人は友人同士で、ファミリーレストラン「デニーズ」に集まり、ビデオゲームでリアルな3Dグラフィックスを実現する半導体設計に特化した会社を立ち上げることを決意したそうです。ファン氏はこう振り返っています。 「シリコンバレーの中心部、人通りの多い大通りのすぐそばにあるデニーズは、ビジネスを始めるには絶好の場所でした。コーヒーが飲み放題で、誰にも追い出されることはありませんでした」 (『マーケティング最前線!』より) 実は、デニーズは学生時代にファン氏がアルバイトをしていた場所で、どちらかと言えば人見知りだったファン氏に、人と接し、話すことの大切さを教えてくれるとともに、学費も稼がせてくれた思い出深い場所だったのです。 ちなみに、NVIDIA(エヌビディア)という社名の由来は、ラテン語の「invidia(羨望)」です。invidiaは英語の「envy」と同義で「羨望」を意味します。当時、3人の共同創業者は「NV」で始まる名前にしたいと考えており、NVと「未来への憧憬」といった意味を込めてと命名したと言われています。