知られざる「エヌビディア帝国」の“始まり”、倒産危機救った「日本人」は何をした?
エヌビディアを築くのは「想像の100万倍大変だった」
「ゲームオタク」と言っていいほどゲームが大好きなファン氏にとって、ビデオゲームでリアルな3Dグラフィックスを実現する半導体設計に特化した会社の立ち上げは、まさに夢が叶った瞬間でした。 創業の年にはセコイア・キャピタルなどのベンチャーキャピタルから2,000万ドルの投資を得て、初期の資金も確保しますが、その後の歩みは平たんなものではありませんでした。2023年にファン氏は当時のことをこう振り返っています。 「会社を起こすこと、エヌビディアを築くことは、我々が予想していたより100万倍も大変でした。その苦悩と、どれほど自分を弱く感じるようになるか、耐えることになる困難と当惑と恥辱、うまくいかないあらゆる物事のリストをあらかじめ知っていたら、誰も会社を始めようと思わないでしょう」 (『日経ビジネス』2024.7.9) 一体、どのような困難があったのでしょうか。ファン氏は、2023年に台湾大学卒業式のゲストスピーチでいくつかの「恥ずかしい失敗」を披露しています。
エヌビディアの倒産危機を救った「日本人」は何をした?
エヌビディアは当初、グラフィックベースのコンピューティングとビデオゲームに重点を置いていました。当時としては画期的な3Dグラフィックス技術「フォワードテクスチャマッピング」や「カーブ」などを開発。 日本のゲーム会社セガとの間で、次世代のゲームコンソールのグラフィックチップをエヌビディアが開発するという契約を交わすことに成功します。 ところが、当時の製品はマイクロソフトのWindowsとの互換性がなかったため、仮にセガのゲーム機がエヌビディアの製品を採用したとしても、Windowsとの互換性の欠如がセガに大きな損害を与えることが開発の過程で判明します。 ファン氏は、当時セガのトップだった入交昭一郎氏に連絡を取り、エヌビディアのアプローチが間違っていたことを謝罪し、プロジェクトの続行が双方にとってリスクとなることを伝えます。 しかし同時に、この契約を完了できない場合、エヌビディアは倒産の危機に直面するため、契約の延長と契約金の支払いを依頼します。本来なら、セガはここでお金も払わず、契約を打ち切ることもできたはずですが、ファン氏を高く評価していた入交氏は、ファン氏の要求を受け入れ、半年間の猶予を与えたのです。