ボスニア初の五輪メダルなるか 紛争後生まれの希望の星、女子水泳代表ラナ・プダル
悲劇的な内戦の果てに独立を達成したボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、ボスニア)は、まだオリンピックでメダルを獲得したことがない。そんなボスニアに初のメダルをもたらすと期待されているのが、18歳の女子水泳代表ラナ・プダルだ。旧ユーゴ紛争後に生まれた彼女は、セルビア系の父とクロアチア系の母を持つが、あえてボスニア代表として戦うことを選んだ。(プダル選手が得意とする女子200mバタフライは、7月31日予選、8月2日決勝) *** オリンピックでメダルを獲得したことがない国の1つがボスニア・ヘルツェゴビナだ。 「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と呼ばれた多民族国家旧ユーゴスラビアの崩壊を受け、ボスニア・ヘルツェゴビナが国家として正式にスタートしてから、約30年が経つ。 同国では、1991年時点で、約430万人の人口のうち、ボシュニャク(ムスリム)系が44%、セルビア系が33%、クロアチア系が17%となっていたが、1992年4月、独立を巡って民族間の衝突が内戦に発展。3年半以上にわたり戦闘が繰り広げられ、20万人が死傷したほか、200万人と言われる難民が各地を避難するなど、戦後欧州で最悪の紛争となった。 1995年、凄惨な内戦の末に独立を認めるデイトン合意が成立。新生国家ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボシュニャク系を中心とする「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と、セルビア系住民を中心とする「スルプスカ共和国」という2つの主体(エンティティ)から構成される一つの国家としてスタートした。今でも国家元首である大統領評議会議長は、ボシュニャク系、クロアチア系、セルビア系という3つの主要民族の代表からなる大統領評議会のメンバーが持ち回りで務め、国連安全保障理事会からマンデートを受けた上級代表が、和平合意の監視や、インフラ整備や人権尊重などの調整を担当しているが、両エンティティ間では不安定な政治情勢が続く。