《公文教室の前で女児を物色した》岡山・兵庫連続女児刺殺犯「勝田州彦」が犯行当日の手口を詳細に告白【“獄中肉声”を独占入手】
また、彼が白いブラウスに執着していたことは本誌・週刊ポスト前号(11月18日発売号)で述べた通りであるが、たつの事件でも、当初は白いブラウスの女児を探していたという。 「私が公文教室に張り付いていた時に、2人組の白いブラウスを着た女の子たちが公文教室に入って行くのを見たのですが、その女の子たちを待っていると、時間がかなりかかるので、諦めて私服の女の子を刺しました。あまり帰りが遅くなると親が小言を言ってくるので、早めに切り上げたんです」 容疑者は9月に筆者への手紙で、2007年に兵庫県加古川市で起きた未解決の女児殺害事件についても関与したと綴った。そのことについて、逮捕後の彼は「津山・たつの・加古川事件を全て自分でやったことだと認めて、気持ちがとてもすっきりしました。自分の中からウミが全部とれた感じになりましたよ」と胸中を明かしている。
〈家の中では常に孤独〉
幼い女の子を狙い、犯行に手を染めたことを認めている勝田容疑者は、どのような家庭で育ち、どんな学生生活を送ったのか。筆者は容疑者と2021年から手紙のやり取りを続けているが、そのなかで、過去についても明かしていた。少なくとも容疑者にとっては、家庭は心休まる場所ではなかったようだ。 〈私の父は、仕事が警察官だったこともあり、寡黙で、私が父の言うことに従わなければ度度手をあげられたりしていました〉 2021年12月14日付の手紙にはそうあった。兵庫県警の警察官だった父は〈恐怖の象徴〉であり、母は、息子を守ることはなく〈父と一緒になって私を責め立ててきていました〉という。〈家の中では常に孤独な存在〉だったと記している。
こうして家庭で不満を溜め込んでいった容疑者は、中学校ではいじめを受けていたと綴った。 〈主に女子生徒が主動し、わざとこちらに聞こえるように陰口を言って来たり、無視をされたり馬鹿にされた〉のち、男子生徒も加わり、最終的には〈私の机の上に花が飾られた花瓶を置き、それを目撃した私に謝ることもせずに笑いながら私が死亡した様にされたのです〉。 彼にとって忘れられない記憶なのか、別の手紙でも、いじめにまつわる記述が見られた。 〈運動会の際に、誰もが嫌がる種目である2000m走に無理矢理エントリーさせられ、「休むなよ」と言われたり、修学旅行の時にも、班決めはしたけれど、実際に行ってみれば1人行動を余儀無くさせられたりと、本当に散々なものでした〉(2022年2月1日付の手紙) このようないじめにより、容疑者は〈主に女性を、全ての人間が信用出来なくなり、人間という存在自体に絶望し失望した〉のだと記す。