異色京大卒の山西 20km競歩で初金メダルも笑顔なき理由
山西は男子50kmの鈴木と同じように、後半は“ひとり旅”になった。序盤は動きが噛み合わなかったが、抜け出してからは、自分のリズムをつかんだ。それでも、「逃げているときは怖かった」と恐怖心と戦いながら、自分のペースで押していく。15kmの通過は1時間5分28秒で、2位のペルセウス・カールストロム(スウェーデン)とは15秒差。終盤は顔を歪めながらも、ペースは落とさなかった。逆に18kmの通過では後続とのリードを25秒まで拡大した。 最後は両手を広げて、1時間26分34秒で真っ先にゴールテープに飛び込むも、山西は笑顔を見せなかった。コースを振り返り、頭を深く下げた。これまでの日本勢男子20km競歩の最高順位は6位。同種目ではオリンピック、世界陸上を通じて初のメダルだった。 「金メダルですけど、うれしい気持ちと、やりきれなかったという気持ちがありますね。ラスト3kmはキロ3分40秒台で行くと決めていたんです。でも、一度も4分すら切ることができなかった。暑さを考慮すれば、そんなものだという人もいるかもしれませんが、自分の理想を追いかけたかった。これで勝っちゃったのか、という感じがしています。2番手の選手がヘタってしまって、逃げ切ったかたちなので、どんどん引き離していくようなレースがしたかった」 金メダルでも笑顔でゴールを迎えることがなかったのは、自分の理想とするレースができなかったから。本人は納得していないが、出走52名中5人が失格して、7人が途中棄権。過酷な環境下のなかで、素晴らしいパフォーマンスだったことは間違いない。 今村文男五輪強化コーチは、「こういう展開を想定していたので、いいタイミングが出られましたね。後ろから迫られると焦りますが、後続との差を確認しながら、それを保つかたちでレースができたのも良かった。男子50kmは金メダル、男子20kmはメダルが目標でしたから、想定以上の結果です。柱になる選手を中心にこの4年間で強化できたことと、暑さが味方になって、彼らのパフォーマンスを高めてくれた。このふたつが主な要因だと思います。東京五輪も暑さのなかでの戦いとなりますが、チームジャパンとして戦える準備はできつつあるのかなと思います」と日本競歩勢の躍進に手応えを感じている。