夫に送った「大っ嫌い」のメール…「花火、一緒に見ようよ」と本心を言えない自分に52歳の今も傷つくけれど【小島慶子エッセイ】
エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。 花火を見ていたら、泣けてきた。二人の慶子が、双子の花火を眺めて泣いている。 それはなかなか素敵な夏の夜のひとときだった。あの電話がかかってくるまでは。 新居の窓からは、週末になるとあちこちの花火大会が見える。直径1センチくらいの遠くの打ち上げ花火でも、やっぱりきれいだ。こないだは2ヵ所で同時開催していた。手前に直径1センチ、少し離れた奥の方に直径5ミリのが次々と上がる。手前のはドーンと大音量だ。部屋の電気を消して、一人で眺めた。スマホを取り出して録画する。オーストラリアの家族にも見せてあげなきゃ。「この部屋からは、ちっちゃいけど同時に二つの花火大会が見られるよ」と言って、冬になったら越してくる夫を喜ばせたかった。 キラキラと夜空を彩る火の粉を見ているうちに、いろんなことを思い出した。大学4年の夏には、当時付き合っていた彼と隅田川の花火大会を見に行ったっけ。空いっぱいの大玉を見上げて、串団子を食べた。何の心配事もない夏だった。ユーミンの「Hello, my friend」が流行っていて、翌年の夏にはもうその彼とは別れていたから、まさにそんな切ない思い出になった。1994年のことである。 そういえば昭和記念公園の花火も見た。あれは大学1年の夏で、初めてできた恋人と見に行ったのだった。後ろから抱き抱えられるようにして木陰に座っていたのだけど、その時初めて勃起した男性器が硬くなるということを背中で知った。人体がこんなに硬くなるとは不思議だなと思ったので、よく覚えている。 冬の花火は、ロンドンで見た。2013年になった瞬間を祝う、テムズ川の年越し花火大会。それをホテルの窓から一人で見ていた。ベッドでは夫と小学生の息子たちが眠っていた。理由は忘れたけど私は夫に腹を立てていて、絶望の涙の中で新年を迎えた。牢獄から眺めているみたいだった。 なんであんなに怒っていたのだっけ。夫婦の大事件から7年。きっとそのトラウマと正月鬱と、陰気なロンドンの冬のせいだ。2年前に起きた東日本大震災の影響もあった。自分の人生も日本の行く末も一体どうなるのだろうと、心細くてならなかったのだ。 私は子どもの頃から、季節の節目や家族のイベントの時は期待のあまり情緒不安定になり、気分が落ち込みやすい。そんな時はいつも以上に夫のちょっとした言葉や行動に敏感で、光の速さで連想が始まり、2005年の事件へとたどり着く。封じ込めたつもりでいても、圧力釜の蓋が緩むと怒りと悲しみがシューシュー噴き出して、どうにも止められないのだ。そして後になって、いつも悔やむ。家族とのせっかくの楽しいひとときだったのに、あんなに怒ってしまって……。そんな胸の痛くなる思い出がたくさんある。
小島 慶子