片道1時間40分の自転車通学と、重さ2kgの自家製鉄バットで磨いた長打力「ボールを誰よりも遠くに飛ばしたい」
「乗り越えられる者にしか、神様は試練を与えない」
コロナ禍でもアピールに成功し、迷うことなくプロ志望届を提出した。しかしドラフト当日、漁府の名前は最後まで呼ばれなかった。 「正直、プロに行けると思っていました。その分、本当に悔しくて、野球をやめようと考えて堤先生に『大学にもいかない』と伝えました」。ドラフト後の約1週間は野球から完全に離れ、「誰とも話したくない」と自室にこもる日々が続いた。その期間、堤監督が連日LINEで励ましてくれた。 「ドラフトで指名された選手がみんな活躍しているわけじゃない。本物の強さを持たないとアカンって、野球の神様が4年間の時間をくれたんやないか?乗り越えられる者にしか、神様は試練を与えないんやで」 恩師の言葉が胸に響き、1週間経ってようやく、再び前を向けるようになった。4年後のプロ入りを誓い、堤監督の母校である東北福祉大に進学。大学でも、何度も心が折れかけた。それでも、高校卒業後も頻繁に連絡を取り合っていた堤監督の存在が支えになり、今年3月にはまた、前を向くきっかけとなる言葉をもらった。 堤監督は元青年海外協力隊員で、ジンバブエ代表監督を務めるなど海外での野球普及活動に尽力してきた経歴も持つ。漁府は「野球途上国」の現状を聞いたり、実際に海外の選手と交流したりする中で、「野球ができているのが当たり前ではない」ことを知った。野球の楽しさも、野球の尊さも、教えてくれたのは堤監督だった。
球場全体が「おお!」となるスイングを
ドラフトに向けては「指名されなかった時のことは考えていない。どういうプロ野球選手になるかを見据えています」と話す。 目標とするのは、自身と同じ右の長距離砲である福岡ソフトバンクホークスの山川穂高。「球場全体が『おお!』となるようなスイングをして、ボールを誰よりも遠くに飛ばしたい」。憧れの場所で活躍するイメージはすでに頭の中にある。 「高校生の頃から何度も壁にぶつかったんですけど、堤先生がずっと面倒を見てくれて、ずっと気にかけてくれた。『堤先生のために』と思うことはよくあります」と漁府。4年越しの恩返しを果たす時が来た。
川浪康太郎