現代人が時間に追われないようにするために必要なことは?
永遠に走り続けなくてはならないアリスのウサギのように、私たちは毎日、時間に追われて生きている。それとも追われているのは自分自身になのだろうか? 哲学者のエティエンヌ・クランは両手首に腕時計をはめている。スイスへ講演に向かう前、駅を待ち合わせ場所に指定してきた。それも時計の真下で。(時間の専門家である)彼の周りには時間があふれている。本人を圧迫するほどに? 「時間とは、私たちが今を生きることを妨げるものだ」と哲学者は言う。時間に対するこのような厳しいものの見方は今の時代ならでこそ。現代人の日々が絶え間ない時間との競争で切迫感に彩られていることをずばり言い表している。2023年の今日、私たちの時間に対する態度が前向きであることは滅多にない。時間が足りない、もっと時間があったなら、時間が過ぎるのが早すぎる......やらなくてはならないTo Doリストは長くなるばかり、すぐにやらなければならないことが山積している。仕事も思考も細切れに積み重なる。だからいつでもたくさんのことを抱えているような気分で常に「追いかけられている」気分になる。
気を散らすことで負荷がかかる
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する白ウサギは、「お別れを言う暇がない、遅刻だ、遅刻だ」と叫ぶ。私たちは白ウサギの言葉を聞き過ぎて、そのペースが普通だと思うようになってしまったのだろうか。生活にデジタル技術が入りこんでから、哲学者が「複数の現在の重層構造」と呼ぶ状態が生じた。哲学者はこれを次のように説明する。「私はあなたと一緒にいるけれど、同時に他のことを色々することもでき、それらはあなたとの時間に寄生する」。それはたとえばスマホの画面に表示された記事を読んだり、自分の研究所にメールを送ったり、今日泊まるホテルが駅から何メートル離れているかをグーグルマップで調べたりだったりする。「このように気を散らすことはスケジュールに負荷がかかる主要要因であり、物事が遅延する原因になることが多い」そうだ。スマホやパソコンがあればより多くのタスクを処理できるはずだが、実際にやるとなると、それなりに時間を食う。それは手際がいいかどうかという問題ではない。「日々受け取るデータの量は加速度的に増えていく」 「そして私たちの脳はそれに対応できない」と考えるジョナタン・キュリエルはこれをテーマに1冊の本を『Vite! Les Nouvelles Tyrannies de l'immédiat ou l'urgence de ralentir(早く! 即時性と言う新しい暴君または速度を緩める緊急性)』(Plon出版)を2020年に書いた。フランスのM6TV局の番組編成担当副社長であるジョナタンは、長年マスコミ業界で働いてきた。しかしながらいまやこの業界もスピードが命となり、次から次へニュースを追いかけるような「まるでひきつけをおこしたかのように絶え間ない情報の流れ」となっていることに違和感を覚えている。今日、人間は時間のスピードに追い越されてしまったのだろうか? 「それより、スピードは今や社会のあらゆる分野に影響を及ぼしている」とジョナタンは言う。政治から私生活、そしてもちろん仕事の世界でも、あらゆるものが加速している。誰もがいっぱいいっぱいになっている。「職場でどれだけそういう会話が交わされているかを見ればわかる。“仕事漬けだ”、“ボロボロ”、“月末まで全力投球”等々、働き過ぎを表現する言葉がいくつもある」とジョナタンは嘆く。これが標準になったのだろうか。あるいはこれが社会的ステータスや優秀さの証なのだろうか。