【デスク便り】エイダン・オブライエン調教師の来日とJRA職員の方との思い出
「エイダン」(エイダン・オブライエン調教師)が日本にやってきました。 水曜朝は東京競馬場でオーギュストロダンを見た後、美浦トレセンも訪問しました。エネルギッシュで、紳士で。今日、初めてエイダンに会ったという記者が「あいさつしたら、こっちの目を見て、話しかけてくれて、すごいな。本当に感動した」とうれしそうに電話をかけてきました。 アイルランドにあるエイダンの厩舎、「バリードイル」(クールモアの私設調教場)ではたくさんの日本人ホースマンが働いてきました。誰もが知っているような名馬や、歴史に名を残したG1馬をバリードイルの日本人ホースマンたちが任されてきました。日本に帰ってきて、当時の経験を牧場で生かしている方もいるし、JRAのトレセンに入って生かしている方もいるし、NARで生かしている方もいます。 バリードイルで研修し、それを日本に持ち帰ってきたJRAの職員の方もたくさんいます。 自分が「Sさん」を知ったのは、13年の日本ダービーで始まったベストターンドアウト賞の取材でした。当時、美浦トレセンの競走馬診療所で所長をされていた方です。ベストターンドアウト賞の導入に尽力されたことを知り、お話をうかがいに…。ベストターンドアウト賞のことを聞く予定だったのに、そこから話が展開して、「なんだ、君、アイルランドに行ったことがあるのか!」というところから、たっぷり2時間以上、話してくれたと思います。「熱い人だなあ」と思いました。そして、「これを読んでくれ」と、その方がアイルランド研修から帰って書いた冊子「アイルランド 競走馬の生産育成調教」を手渡されました。 ベストターンドアウト賞についてのコラムを書いたときはお礼の電話をいただき、アイルランドへ取材に行って帰ってくると、また喜んでくれて…。 Sさんが研修でアイルランドへ行き、バリードイルを訪れたのは、エイダン・オブライエン厩舎の草創期。別の方から「エイダンが本当に信頼していた日本人ホースマンだった」と聞きました。 16年に亡くなられ、Sさんのお通夜に行ったとき、「エイダン・オブライエン」「ジョセフ・オブライエン」と2つ、カタカナで名前の書かれた献花が並んでいました。 その年(16年)の秋の凱旋門賞は初めてJRAが海外馬券発売を行ったのですが、エイダン・オブライエン厩舎がワンツースリーを決めました。レース後、競馬場を出るエイダンは自分にこう言いました。「彼が空から見ていてくれたと思うよ」と。 あのエイダン・オブライエンが日本へやってきました。Sさんも今年のジャパンC、楽しみにしているのかな、と思います。 【競馬デスク@大阪中之島】